2017年10月29日(八段語録3132)
極真空手を何故習うのか
(11)

今日の夜から明日早朝にかけて、台風22号が接近してきます。
先週も21号が通り過ぎて、今回もですから、土日の紅葉狩りの行楽も潰れてしまいます。
体調管理ということも含めて、ゆっくりできるのですから、私には良いのかもしれません。
それでも、観光地は閑古鳥が鳴くのでは、大変に思ってしまいます。
朝は曇りで、昼過ぎから小雨が振り、夕方からは本降りということです。
話を本筋に戻して、私自身は、極真空手を通じて強くなりたいという一心で体を作ってきました。
身長もあったからですが、人一倍大きくしたものです。
良く食べ、肉体を酷使して、大会用の肉体改造を続けてきました。
ところで、今になって、肉体の衰えとともに体が重くのしかかるのです。
もちろん、血液検査の状況も腎臓に負担がかかるようになっています。
そこで、思い切り体重を減らすという戦略を練っているのです。
それもそのはず、100キロをはるかに超えて、105キロに至ったのでした。
食事の量を少なくするということです。
そして、三食バランスの良い食事を心がけるのです。
10月中頃から実践して、100キロを切って90キロ台に突入しています。
何事も、志を持たなければ、結果は伴わないものです。
さて、私自身のベスト体重はというならば、70キロぐらいだそうです。
そうすると、あと30キロですから、途方に暮れてしまいます。
それは無理だとして、80キロ台までは落としたいという気持ちになります。
食事の量は、人一倍多いですから、控えるということです。
6年前にも、減量を試みたことがありました。
その結果、90キロ台まで落ちたのです。
この時の戦略は、糖質制限ということでした。
確かに痩せましたが、頭脳に糖が行かなくて、回らなくなっていました。
それだけに、今回は、栄養のバランスを整えての、肉体改造の着手ということです。
誰でもそうですが、プランを立てて実践するということをするのです。
私も例外ではなく、減量しながら筋肉を鍛えるという戦略です。
別にライザップの方式を意識するのではなく、マイペースで取り組もうと思うのです。
多くの高齢者に出会うのですが、長生きしている人の多くは、痩せているのです。
私のような100キロ級の高齢者にはなかなか出会うことは少ないのです。
そう考えると、健康で長生きするには、痩せるということなのかもしれません。
その事は、我が妻から口を酸っぱくいわれていることなので、今回は本気になっています。
ところで、責任者としての歩みで、心に決めている事があります。
その中で、自ら努力して今尚努力して修練を怠らないという事です。
さらに、指導者ですから、道場生の立場に立つという心がけというわけです。
そして、いつも心情的に親身になるという事は忘れない事です。
そして、私自身の役割ですが、極真空手という武道を通じて正しく人を育てるのです。
どのようにして、育てるかということを検討するのです。
やはり、管理職になることなく、実際に現場で指導することに尽きるのです。
そうでなければ、道場は作り変える事はできないというものです。
さらに、自らの全ての愛情を注ぐという事です。
愛情力という力があるのかどうかはわかりませんが、愛情の投入です。
それも、両親以上に道場生に愛情を注ぐという気持ちを持つという事です。
そして、道場生一人のために、全力を尽くして生命をかけるという事です。
このような姿勢が、私の道であるという意識を持つのです。
道場生の為に死力を尽くすという決意を日々高めようとするのです。
これがなされれば、道場生も活性化するというものです。
当然、私の心も充実して、頑張ることができるというものです。
結論として、手塚会長からの役目を受けて、七ヶ月の期間をすぎたのですが、結構大変です。
日本国と世界にいつも心を馳せるだけでも、愛情の足らなさを感じてしまいます。
もちろん、道場生の不備な点、そして過ちも自分の責任としなければならないという事です。
役割は、極真の伝統を正しく伝授するという事なのです。
それだけに、全ての重荷を背負っても前進するという気持ちです。
今まで以上に、これから苦しいことが多いと思います。
そんなに楽な人生ではなかったのですが、それ以上の試練を覚悟するのです。
一生といっても、百年に満たない年月ですから、笑って迎えようと思うのです。
今後このような期間、克服できないようでは、武士とは言えないという事です。
自分が何かを達成したなどとは、一言も言えないような立場です。
やるべきことがあまりにも多すぎするのです。
そして、不満を抱かないような道場生を育てるということです。
そして、何を指導するかというならば、人と比べることなく、人の道を行かせたいのです。
人が気になるようなときは、黙々と比較することなく自分の道を行くことです。
もしそのような気持ちになったとしたならば、邪悪な心も飛んでいくという事でしょう。
本質的な戦いができる道場生を育てるのが私の責務ということです。