2017年10月21日(八段語録3128)
極真空手を何故習うのか
(7)

お互い指導者同士は、信頼しなければなりません。
誰かを疑って監視するような姿勢では、どうしようもないのです。
不穏な動きもありました。
そして、何人かの選手会の道場生が離れたのも事実なのです。
それだけに、基本的には、私達は、手塚グループとして連帯して動いていきます。
例えば、宮城県本部の場合、この本部に所属しなければならないのです。
それは、菅野師範の方針に乗っ取って行かなければならないということです。
ここから他に道に行こうとするならば、勝手に他流派になれば良いだけなのです。
今指導している指導者が勘違いして、自分が強い選手を育てていると思い上がります。
それは、はっきりしていることです。
間違いということです。
武士道精神ですから、各位を重んじて、師範の願いに答えようとする動きが必要なのです。
そうでなければ、秩序が保てないどころか、組織に亀裂が生じるというものです。
しっかりと帰属意識を持つべきです。
そして、信頼関係の中で、道場生を育てるという姿勢を取るということです。
もちろん、道に外れた指導者に対しては、しっかり分別します。
組織は、家族を中心とした愛情組織でなければならないという信念なのです。
少しきつい表現からの書き出しになりました。
道場生は、右も左もわからない立場からの出発なのです。
指導者は、道場生に極真の道を全うできるように指導すべきです。
道場生に愛情を注ぐことによって、武人としての成長と成熟を願うわけです。
指導者は、道場生が、一人前の成人になるまで投入するという意識から逃げないのです。
自分自身が培ってきた心技体の内容の全てを投入するということです。
本当の弟子としての関係を築き上げようとするのです。
そうでなければ、愛情あふれる家族にはなれないということです。
その時の指導者の姿勢が問題になります。
帰属意識が全くなく、自分本位で指導するならば、道場生を惑わせてしまいます。
特に、批判的な姿勢で対応するとするならば、混乱さえ起こしかねないのです。
そのような現象を起こしてはならないという認識を持っているのです。
今回の一連の流れは、ある程度道場生が、育ったと思えるようになると、父兄が手のひらを返したようになったという現象です。
この道場は、親を弟子にしているわけでないので、干渉はできません。
それだけに、何とも言いようがない気持ちになります。
色々と事情があるでしょうが、指導者として、極真空手に関しては、信頼して欲しいのです。
ところで、私自身全国を私歩いてきましたが、どの師範に対しても誠実に指導を受けてきました。
道場生は、一匹狼になるような、免許皆伝ということで、勝手に指導するとは違うのです。
あくまでも、極真手塚グループを支えていくという姿勢から取り組むということです。
そうでなければ、誰も信頼することはできなくなるのです。
指導者も道場生も、この極真道場を背負って欲しいということです。
このグループの中で、貢献していくならば、誰からも認められるということです。
特に指導者は、信頼を勝ち取って、責任ある立場につきながら、この道場を引っ張っていくのです。
勝手に行動するということは、決してあってはならないことです。
原則論から検討するにせよ、指導者が犠牲になっていくということは必要なことです。
その姿を、誰もが記憶してくれるというものです。
どんな立場にあったとしても、理想の実現に対しては、飽くなき挑戦です。
お互いに、汗を流しながら、心血を注ぐことをすべきです。
確かに、私自身としては、信頼するというところから、指導者を立てます。
様々な問題もしっかり抱擁してきたつもりです。
それでも、心が邪悪な指導者に対しては、何れはそれなりの措置を取るのです。
そんなことのないように、指導者の誠実な姿勢が求められるというものです。
結論として、人生一つの道を全うするというところから、道は開けるというものです。
不平不満からは、何も生まれません。
道場に迷惑をかけるような言動は慎むべきです。
そのような気持ちを強く持つのです。
結局、道場に迷惑をかけずに、自己成長の道をいくべきです。
そして、立場を全うして、誰からも信頼を受けるような指導者になるということです。
どのレベルまで、どのようにすべきかは、モデルとして私が示してきました。
決して、手塚グループを裏切ることはなかっったのです。
たとえ、初段の指導者が二段になろうとも、今尚修行の立場に変わりはないのです。
私自身、六十三歳まで、会長のかばん持ちでした。
つまり、丁稚が、番頭になり、主人になるのに似ているということです。
そして、本当に所帯を任せることができる人材に成長しようとしたのです。
できることなら、色々と分かち合える人材を育成しようとするのです。
それが、教育するということの第一目標になるのです。
そのような生き方を指導者にも道場生にも願うのです。
しっかり心を込めて道場の運営に当たって欲しいものです。
そのような事を、極真空手では習うのです。