2017年10月19日(八段語録3126)
極真空手を何故習うのか(5)
手塚グループに対して、責任意識を持つという事は、当然のことです。
それでも、現場を大切にするという意識は大切なことです。
それだけに、実際に指導するという立場に立たなければならないと思うのです。
ただの管理職であってはならないと戒めています。
理由はというならば、道場は教育の最前線なのです。
道場生の周りには、学校教育もあります。地域の見守りもあります。
それに加えて、極真道場を選択してくれたのです。
極真空手をもって、伸ばせる個性を磨くという事を意識してくれたのです。
それだけに、極真空手を伝授していく責任があるということです。
道場は、親が子供を教育するようなものです。
実に、心技体という分野で厳しく指導するのです。
そのために、愛する道場生のために、投入するということは願われるのです。
犠牲になったとしても、報われなくても、投入するという意識は必要なのです。
そのような純粋な気持ちを、いつも指導者の心の中に駆り立てて、現場から全体に波及させるのです。
愛情を注ごうという動機ですから、疲れてはならないと戒めるのです。
また、惜しみなく投入するという事を意識するのです。
道場生は、空手の技を吸収しようとする心が広がるというものです。
それだけに、その姿勢に答えて投入するという気持ちを持つのです。
さて、今日は、月一回の指導者研修です。
いつも田子の会場で行なっています。
道場の次の世代を担う指導者の育成をしなければならないということです。
菅野師範が主催して、多くの成果を上げてきているのです。
指導者全員で築き上げてきた今の基盤です。
それだけに、私自身、責任者として何ができるかということを模索するのです。
その一端が、指導者候補になる人を集めて、心技体の訓練をするということです。
その訓練を、常設道場で行うということにしたのです。
極真手塚グループの精神をしっかりと植え付けなければという気持ちなのです。
ただモンスターのように強くなればいいというものではないのです。
また、手塚グループの広告塔になって活躍して欲しいとも思わないのです。
本人の自信と誇りになれば、それが全てなのです。
本人の業績ということであって、本人の成長に役立てるのです。
私自身、極真空手を修行してから、四十四年の歳月が流れました。
その修行が、人生に生かされているのです。
つまり、社会に貢献する人生観が確立されたのです。
そして、晩年の今を迎えても、夢と希望を持って、人生を歩んでいるのです。
ところで、なぜ、そのように指導者教育をしようとするかということです。
私自身が、極真の恩恵を受け続ける人生であったからです。
振り返っても、間違いのない人生を歩めたという自負心があるのです。
それだけに、後輩に極真の秘伝を継承してもらいたいという事です。
今まで、十数年の間、修行してきた道場生に対して、特に感じるのです。
それなりの中途半端な価値観を抱いて、いい加減にする道場生の存在は認めないのです。
指導者として期待したメンバーが、他の道場に移った経緯があるのです。
それに対しても、私の指導不足という反省に立っているのです。
塾のような気分で、極真空手を学んだような現象になったのです。
長年の間、教育したメンバーが移っていくのです。
もちろん、去る者は追わずの精神です。
それでも、何らかのトラブルがあったにせよ、悔しい思いになります。
別に、他流派の道場に関して羊泥棒とは思わないのです。
原因が、私自身にあるという姿勢を貫くのです。
それで、もう少し、教育に時間と意識を振り向けなければならないという気持ちを抱いたのです。
指導員の教育、選手会の教育、道場で長く歩んできた先輩格の道場生の教育は必要なのです。
結論として、道場の責任者として、何を為すべきかという境地に至ったのです。
それが、今回の指導者教育を毎週するということです。
今まで、学んできた全てのことを伝授するという気持ちになったのです。
この極真空手で、随分人生を助けられたという実感からです。
道場生が、立派になって、私自身、感動したいのです。
他の他流派に移るような道場生を育てるようでは、責任者として未熟というものです
道場生が、極真手塚グループで、立派にならなければ、力が半減してしまいます。
愛する道場生のために、これから全力で投入していきたいという気持ちです。
自分の生命を犠牲にして、道場生に心技体を身につけて欲しいのです。
道場生が、私以上の姿になってこそ、喜びを感じるというものです。
それだけに、できる限りの苦労をして、一人一人にあらゆる困難を乗り越える力を授けたいという思いになります。
愛情あふれる指導をしようと決意しているのです。
確かに苦労はあります。
それだけに、すべての内容を出し切って喜びを感じようとするのです。
その為に、チャレンジをするという決意なのです。
現実的に責任者という立場からするならば、もっと他のことがあるようにも思います。
しかし、愛情を注ぐことに、共に犠牲になろうということにしたのです。
そんな環境に手塚グループを導きたいのです。