2017年10月2日(八段語録3118)
理想への挑戦
(3)

娘が、東日本復興マラソンに参加しました。
無事完走でした。
フルマラソン初挑戦でした。
家族が応援に出向きました。
会場は、お祭りムードです。
お笑い芸人のサンドイッチマン現地で解説をしていました。
また、コースの途中では、東北の名産品が選手に出されていました。
それにしても、天気も晴れて、恵まれた大会になったのです。
会場は名取で、津波でもっとも被害が大きかった場所が開催地なのです。
海辺に沿って、海岸沿いを走るコースでした。
ここで、多くの人が犠牲になったのです。
その犠牲を弔いながら、明るい未来に向けてのフルマラソンになりました。
走り終えた娘の足の指には、痛々しい血豆が出ていました。
それでも、走りきった喜びに夢中になっていました。
震災当時の事を思うと、人々の傷も癒されてきているように思いました。
マラソンのように多くの被災者も未来に対する挑戦が始まったばかりということです。
さて、復興を果たすにしても、しっかりとした考えを持たなければ、何も進みません。
被災を受けた人達が、多くの支援を受けながら発展してきました。
もう、6年半もたったのです。
私も、私達家族も被災者です。
家は半壊でした。
経済的余裕もないので、家を補修して今まで騙しだまし使ってきました。
もう下宿棟は、どうにもならない状況になっています。
挑戦するにしても、先立つ金銭の余裕はないのです。
復興融資もあるのですが、思案中です。
震災当時は、消防団員として、救助活動などを本部で活動してきました。
自分の家の事もままならなかったのですが、それでも任務に当たりました。
団員の中には、亡くなった人も出ました。
それでも、地域の復興の為に、寝ずに頑張ったものです。
そのような事が、脳裏を過ってしまいます。
まだまだ、地域の復興は途上です。
我が家においても、これからというところです。
それだけに、娘の復興マラソン参加は、頼もしささえ感じたものです。
ところで、理想へ向けての理念をしっかりさせようと思うのです。
極真精神を理念として確立させ、その実体である師範が勝負するのです。
かつて、若かりし頃は、全日本に優勝することだけが、理想の日々でした。
しかし、今では、地味に、家族が幸せになる道を模索しているのです。
もちろん、切り口を、極真精神においているのです。
私には、第一に極真精神が自分の信念になっているのです。
第二に、実際に地域に貢献して、為に生きようとするのです。
この為に、実際に自分を磨くように、強い肉体と精神を築いてきたのです。
そして、決して敗者になってはいけないという事で、細心の注意を払ってきました。
人生、震災に出会おうが、前に突き進んでいかなければならないのです。
今までも、多くの行く手を阻む出来事があります。
それでも、正しい極真精神を持つならば、乗り越えることができると信念を持っているのです。
二歩進んで一歩後退ということは、想定内です。
そして、極真の理念ですから世界を相手にすることが使命なのです。
絶えず、世界の極真会館の指導をすることを意識するのです。
そのような思いがなければ、極真の理念の挑戦にはならないのです。
娘のフルマラソン参加は、私を刺激してくれます。
もう極真空手では世界を相手にしなければ、安らぎはないという気持ちになります。
そのような気持ちを、維持しなければ、外部に侵食されるだけです。
世界を指導するが故に、世界が垣根になって守ってくれるというものです。
極真精神は、娘のフルマラソンにも現れていました。
その理念ゆえに、走り抜いたように思っています。
というのも、極真精神で娘を育て守ってきました。
それが、今となって、娘から刺激を受けるのです。
家族を追い払って、極真の理念に生きたのではないのです。
妻も、言葉に出さなくても応援してくれました。
実に、家族が垣根となってくれたのです。
そして、このフルマラソンのように、娘の実践があるのです。
世界を指導するがゆえに、世界が垣根となってくれると同じように、
家族が一丸となって、極真の理念を支持してくれるのです。
一人、孤独にこの道を開拓することはできなかったということです。
そのような理由から、世界を家族として抱く気持ちが大きいのです。