2017年9月30日(八段語録3116)
理想への挑戦


地道な地域活動から理想へのチャレンジです。
地域で、安全安心の街づくり協議会の会合がありました。
この活動では、副会長を務めています。
今回は、行政と一つになって、地域の活性化を目指すのです。
私の役割は、広報の組織を任されているのです。
基本は、総務部会とプロジェクト部会の情報を広報誌に反映させる事です。
もちろん、地域での防犯活動も取り上げていくという事です。
日々地域での頑張っている人にスポットを当てるという姿勢です。
今年決定した事は、地域の通りに防犯カメラを設置するのです。
今年は、4台のカメラ設置です。
素早い対応という事を行政の担当者から、お褒めを頂いていました。
これは、地域から犯罪をなくすということに大きな力になると、大歓迎です。
安全安心街づくり協議会の内容を見ると、区役所が後押ししてくださっているのです。
それだけでなく、警察、消防と連携をしていくということも確認しました。
それだけに、しっかりとした組織と連絡網を確立することが急務ということです。
広報担当としては、そのような内容を地域住民に知ってもらうという役割をこなすということになります。
さて、このような協議会を結成するのですが、実際は、組織以上に個人の確立が願われます。
個人から、家族を通じて、地域社会そして、国家・世界につなげるのです。
この協議会も、個人一人ひとりに浸透した時に、成果が現れるというものです。
私の責任である広報は、地域住民の一人一人に働きかけることになるのです。
この協議会で意識する事は、私自身ボランティア精神に満ちているかという事です。
私個人の動機が問題になるのです。
ここで、願われるのが、個人の確立です。
それを、私自身は、武士道精神に身を置いているのです。
協議会のスタッフは、地域の代表ですから数少ないのです。
そのメンバーが地域に大きな影響力を演出するのです。
そうするならば、役割を頂いているので、互いに協調するという精神は必要になります。
故に、個人の確立なしに、地域全体を巻き込む事は無理があります。
つまり、大義だけでなく、協議会で取り組むに当たって、個人の確立なのです。
大それた事は、言わないまでも、献身的な姿勢が問われるのです。
私自身協議会での活動は、世のため人のためという精神です。
僅かばかりですが、そのような姿勢が、理想への挑戦をもたらすように思うのです。
ところで、社会奉仕は、私にとって、第二の目的なのです。
社会奉仕の大切な事は十分理解しています。
それだけに、第一の目的は、自分自身を社会奉仕に駆り立てるという事です。
この作業ができないようでは、社会奉仕など夢のまた夢になってしまいます。
その為に、日々、自己練磨に取り組むという事です。
社会奉仕は、消耗戦になります。
それだけに、エネルギーを蓄える訓練が必要という事です。
その修練所を、私の場合は極真の稽古に置くのです。
稽古に重きを置くという事は、極真精神の原点に立つという事なのです。
その原点に置いて、人格レベルが高く成長していなければならないのです。
極真空手ですから、しいて言えば第二の大山総裁を目指すという事です。
武道を心がけるものとしての目標は、総裁にあるということに当たり前です。
そのような理由から、自己の確立から地域の活動はという方向性が願われるのです。
私の場合、理想の挑戦は、武士道に原点を置いて、修行を重ねるところから始まります。
この切り口が、私自身が求めた内容なのです。
そして、極真の修行のおかげで高齢になったとしても、自然に地域社会に奉仕することができるというものです。
そのような理由から、極真精神に満ち溢れている状況を作ろうとします。
理想や夢の挑戦は、個人のしっかりとした理念から出発するというものです。
個人個人が合わさって、大きな力になるというものです。
そして、自らの姿勢を確かなものしたいものです。
話は変わりますが、今回、「希望の党」という存在が、大きく選挙戦で目立ってきています。
民進党の面々が、ヤドカリ状態で、虎の威を借りるように入党です。
面子も何も無いようです。
ただ、議員として残ることを目指そうとするのでしょう。
そのような、候補者を見るにつけ、がっかりします。
そうしてまで、しがみつくのかということです。
恐らく、顛末は寄り合い所帯ですから、小池党首が妥協するか候補者が妥協するかでしょう。
いい加減な、政党の出来上がりということのように思います。
目的の為に手段を選ばないようでは、政治家も地に落ちたものです。
理想の実現よりは、当面の安部政権打倒ということでしょう。
寄り合い所帯の出来上がりでしょう。
理想への挑戦は、希望の党の政治の流れとは違って、第一に自らのを磨くことであり、第二に奉仕することであることであるという信念です。
そのような事は、今の政治家には生かされない事でしょう。
それでも、理想へのアプローチは、政治家とは違うのです。
遠回りかもしれませんが、理想への挑戦は始まったばかりです。