2017年9月24日(八段語録3113)
手塚グループの挑戦(7)
理想の極真会館を目指すという事を日々の稽古の中で検討します。
年齢に関係なく、夢を追い求め続けるのです。
入門した時から、一途に歩んできました。
何の矛盾もなく、稽古に励んできたことが走馬灯のように思い出します。
まさか、総裁が亡くなるとは思いもしませんでした。
その後、手塚会長も夢の途上で天に召されたのです。
会長の存命の中で、総裁がの遺言書の問題がありました。
それが、引き金になって、極真会館の分裂をもたらしたのです。
現状の打開の為に、手塚会長が奔走したことは言うまでもありません。
「家族」をベースにした理想のモデルを開拓してきたのです。
そのモデルを中心に世界に問いかけてきたのです。
やがて、多くの世界中の師範に賛同を得てきたのです。
そして、「家族」を主張する極真モデルとして、一緒に行動を共にしてきたのです。
そのモデルを構築する事は、並大抵なことではなかったのです。
実に、会長の家族の歩みそのものが、このグループの礎なのです。
基本モデルが出来上がっていたからこそ、これからの発展が望めると言うものです。
さて、手塚会長と私は、夫婦のこと、子供達の事、何でも相談しました。
ざっくばらんに、包み隠すことなく、会話を重ねました。
それも、当たり前に今迄の会話が、活動する力の源泉なのです。
そして、その内容を噛みしめることが、私の最も大切な日課にもなったのです。
「家族」は日々変化をもたらします。
新鮮な刺身のようなものです。
少し、時間を置いてしまうと、傷んでしまいます。
生命を削ってでも、取り組まなければならない内容になるわけです。
指導者として、手塚会長に出会ったのが、二十一年前です。
私自身に、四十二歳の時でした。
自分の子供達の会長に相談をしたのも、この時からでした。
私はというならば、東北学院大学大学院生でした。
丁度、税理士を目指そうとしていました。
何といっても、大学院で科目免除ということです。
つまり、無試験で税理士になれるという裏口コースを目指していたのです。
経済の負担を妻にかけての目標達成の道を歩んでいたということです。
ところで、この時に、手塚会長に出会っていた時は、税理士の道に邁進中でした。
空手では、生活はできないという理由もありました。
それ故に、社会的にも高待遇され、尚且つ生活も安定する道を選んでいたのです。
それが、会長からの刺激を受けて一変したことになるのです。
税理士として、正しく家族は守ることができるかという自問自答が始まったのです。
同じ大学院の同期生の話を聞くにつけ、離婚や不倫の話を聞くではないですか。
同じような、種類の人種になりたくないという気持ちが日増しに強く働いていたのです。
また、今迄の培ってきた武道精神が薄れていくようにも思ったのでした。
会長のアドバイスもあって、税理士の道ではなく、師範の道を歩むということになったのです。
妻には迷惑をかけ続けたのです。
大学・大学院と学費は一千万円を超えていたのです。
だからと言って、師範の道を行くからといって、経済的保障は全くないのです。
このような道は、いかに困難であるかという事は、大人の私としては分かりきった事でした。
お金にならない、師範の道は、現状を打開していくという事に、エネルギーがいるのです。
絶えず、新しい理想を追っていた私にとっては、道を極める以外になかったのです。
師範としての決意は、並大抵のことではなかったのです。
結論としての、困難な道を選んだ事になりました。
現実的に人生を捉えるならば、選択する道ではなかったのです。
つまり、趣味としての空手を進めていけばいいだけでした。
それが、現状を打開し、冒険の道を進むという暴挙に出たのです。
手塚会長と同じ道を歩むようにも思えたものです。
人生を普通に歩ということでは満足しないようです。
他の人とは違った道を歩もうとするようです。
もちろん、誰も行かない狭い門から入るようでした。
実に、武道精神に合致した生き方のようです。
それも、何か地位と権威に頼るのではないのです。
自ら、立場を切り開くという冒険に旅立つようです。
誰も行ったことのない道を平気で歩もうとするのです。
そのような挑戦は今でも続くのです。
絶えず新しい事を試行錯誤するわけです。
理想に向かって夢の追求なのです。
極真空手の家族モデルを願うだけでなく、実際にモデル成就に勤しむのです。