2017年9月18日(八段語録3112)
手塚グループの挑戦
(6)

「家族」を大事にする手塚グループです。
息子家庭に二人目の子供が授かり、日増しに勢いが出てきます。
長女は、人の為に何ができるかの実践をしています。
次女は、世界的ブティックの店の「ザラ」に勤めて、生き生きしています。
私達夫婦は、子供達の事を、日々話すのです。
その会話は、一日の活動の糧になるのです。
家族に心の光を当て、精神的栄養を具体的に与える日々です。
結果、私の心も、輝きだし道場生にも愛情を注げるのです。
しかし、先週一週間は、妻が里帰りで広島でした。
というのも、妻の弟の病院からの退院のお世話でした。
また、老人ホームに入っている妻の母の様子を見に行ったのです。
この期間、私と電話という交流手段はありますが、寂しいものです。
めめしいようですが、実際に妻が側にいないと、活動のエネルギーは、半減します。
もう四十年も連れ添ってきているのです。
それも、日々の生活で片時も離れなかったのです。
その妻が、一週間共にいないということは、実に心が満たされないものです。
さて、埼玉本部與川師範の主催する第一回関東大会と名を打って、五一名の選手で大会を開催しました。
私は前日に埼玉に向かいました。
その時、台風18号が九州に上陸していました。
それでもまだ、東北新幹線は正常に動いていました。
台風は、大型で九州地方に大雨を降らせて、甚大な被害をもたらせていました。
新幹線の中でも台風情報に注目していました。
無事に、会長宅近くの三郷の東横インホテルに到着です。
その日の夜中は、台風の影響で、突風が吹きまくっていました。
しかしながら、朝を迎えると雲ひとつない青空が広立っていました。
台風一過によって、気温が上昇して、熱中症が気になる暑さになりました。
松伏町内にある体育館で記念すべき大会が開催されたのです。
緊張している與川師範が、現場の指示をしていました。
大会は、成功裏に終わることが出来ました。
この大会が第一段階として、さらなる飛躍が成されるように祈るばかりでした。
大会の特徴としては、與川師範の子供達が試合に参加していたのです。
與川師範の子供達の活躍が人目を引いていました。
ところで、このような大会も原則的に手塚グループとして歩んでいく立場です。
その為に、夫人が大会会長ということで、見守ったということです。
手塚夫人と共に、これから強くしなければならないと感じるのです。
というのも、手塚道場には、会長の心を弟子達が傷つけた歴史があるのです。
心に掛けた優秀な弟子が、手塚道場を去って行ったのです。
この大会も、手塚道場の歴史を取り戻す責任ある大会であると思うのです。
第一回目のこの大会も、手塚会長の追悼大会なのです。
本来行くべく道を踏み外すことなく、前進して欲しいと願うのです。
手塚会長が、自尊心も誇りも捨てて、裁判に立ち向かった歴史を持つ道場です。
更に、言うならば、生命がけで、極真会館を守ったのです。
その生命がけの戦いは、総裁が書いたとされる偽の遺言状を無効にしたのです。
その戦いの成果が、私達の歩みにかかっているという事です。
膨大な労力と資産を投入して勝ち取ったのです。
その事を、私達は肝に銘じていかなければならないのです。
単なる大会ではなく、本来の極真会館を取り戻す戦いなのです。
そうであってこそ、與川師範による追悼大会なのです。
結論として、単なる大会にするのではなく、会長の願いに立つ大会であってほしいものです。
大会で、極真空手の本来の強さを目指すのです。
そして、会長の主張する家族を大切にするのです。
それが、よく表現された第一回の関東大会であったことは言うまでもありません。
回数を重ねる度ごとに、成長できる大会になって欲しいのです。
くれぐれも、家族としての理想を全うしたいものです。
夫人が願う事も一緒であると思うのです。
それだけに、勇気を与えていただいた大会としての目に焼きつきました。
これからは、誰も去ることのない手塚グループにしたいものです。
手塚道場の歴史を完成させる時に至らせたいのです。
決して、道を踏み外すことのない弟子である事を祈るだけです。
もちろん、私自身に問いかけている事なのです。
このグループの挑戦は始まったばかりです。
その挑戦が、全国・全世界で始まっているのです。
その目撃者が会長の夫人であり、私であると自負するのです。
これからも、あの世にいる会長と共に夢を見ていきたいと思うのでした。