2017年9月12日(八段語録3108)
手塚グループの挑戦
(2)

極真会館手塚グループの歴史は、大山総裁から手塚会長が支部認可を受けてから始まりました。
手塚会長は、大山総裁の直接の弟子というよりは、秘書の役割を果たしたのです。
理由は、手塚会長のお姉さんが、直接の秘書であったことに由来したのでした。
それ故に、御自宅に大山総裁から、姉にも会長本人にも連絡が頻繁にあったのです。
手塚会長の事は、大山総裁の近しき間柄になっていたのです。
さて手塚会長は、大学時代ボート部でマネージャーの役割を演じていたのです。
駒沢大学で、ボート部の予算獲得に奔走したのです。
また、選手育成の為に積極的に心を配って手配をしてオリンピック出場まで漕ぎつけたのです。
空手と無縁な会長が、大山総裁の目に留まり、会長が知らない間に千葉県の師範になっていたというのです。
それも、全日本オープントーナメントの師範紹介で突如就任した形になったのです。
会長にとって、晴天の霹靂という事だったのです。
それからの行動は、会社を辞め、自宅を道場に改造したのです。
極真会館一筋の道を歩んだのでした。
それも、弟子という立場だけでなく、総裁に進言したのです。
それだけに、手厳しい改革案を提出するので、しばしば総本部出入り禁止になったのです。
謹慎中は、総本部に文子夫人が会長の代わりに出かけたというのです。
それだけに、文子夫人が直接の大山総裁の指示を受ける期間が続いたのでした。
さて、極真会館手塚グループの歴史は、手塚グループ会長が師範として現れて始まりました。
四十数年の歴史に至りますが、手塚会長の理想の内容が綴られてきたのです。
どのように手塚グループが開拓されたのかというならば、会長の姿勢にかかっていたのです。
その根本的なテーマが、当たり前である「家族」を重んじたのです。
地上最強の強さを求めるのは言うまでもなく、「家族」になぞらえて信頼関係の構築を図ったのです。
会長の師範としての開拓の道は、反逆と裏切りに見舞われたのです。
会長の人格を持って、世界チャンピョンを排出しました。
また、多くの指導者も育ったのです。
ところが、有名な選手になると、その弟子が会長と道を異にするようになったのです。
特に、大山総裁が亡くなってからというもの、独自の道を選択したのです。
結果的に、手塚会長を裏切るような道に進んで行ったのでした。
それでも、現実を受け入れて、己の道を進んだのでした。
そのような道は、誰も擁護することのない、指導者としての資質が問われたのです。
故に、指導者たる内容が問われる歴史になったのです。
そして、信念として、信頼関係を最大重んじることを前提に開拓されたのです。
いうまでもなく、手塚会長の口癖の「家族」という事なのです。
ところで、手塚会長が、指導者としての開拓していくために、二つの課題が横たわっていました。
一つは、全国の師範の中で、指導的立場を築くことでした。
それ故に、大山総裁にあらゆる提言をして、組織改革に乗り出したのです。
理想と夢の実現を、千葉県大会でも何度も心がけたのでした。
それで、総裁から認められたのですが、他の師範から揶揄されることも多かったのです。
しかし、極真会館としての夢を追うことを諦める事はなかったのです。
中傷誹謗はあったものの、挫けるような会長ではなかったのです。
弟子の中には、経済的困窮を発信源として、信頼という重要な心を売った弟子も出てきたのでした。
二つ目は、千葉県大会を行う中で、地域の信頼を得るという事でした。
大会は、豪華にデコレーションして、開催したのです。
決して、商業的な開催ではなく、全て自費負担で借金覚悟で開催したのです。
大会に出場する選手達は、最高に準備された会場で技を競い合ったのでした。
また、地域のお祭りにも積極的に参加して、演武会も行いました。
その背後に、会長では夫人が、心血を注いだのでした。
当然、道場は住宅地ですので、苦情を先取りして、頭を下げて回ったのです。
内助の功がなければ、この手塚グループはなかったのです。
一貫して言える事は、手塚会長の極真空手の挑戦をし続けていく上で、努力を惜しまずに、あらゆる立場で協力しておられた会長夫人の姿があったのです。
会長が伝統を残して下さったのち、このグループを率いてくださるのは、夫人なのです。
これが、これからの手塚グループの強みであり、一致団結した組織運営の礎なのです。
手塚会長がアウトラインを立てて下さったのです。
それゆえに、発展の要素は、夫人と私自身に掛かっていると思っているのです。
それが証拠に、三月の就任式に、夫人と私が二人三脚でこれから発展させると誓ったのです。
それも、全責任者の前で、宣言したのでした。
これから、夫人と共に歩というスタンスが発展の原点になるのです。
このグループに馳せ参じてきた私の役割は、半端な気持ちで取り組めないのです。
手塚会長の心を痛めたことを、再び繰り返すことなく、発展させるのです。
全国はもとより、全世界の師範に至るまで、信頼を受けるように努力するのです。
手塚会長の挑戦を夫人と私が背負って、取り組むのです。
それが、このグループの願われた事であると確信するのです。