2012年6月10日(八段語録1709)

森家の系図(3)大畑村を離れる


 出身は、系図を辿ると、美濃国多治見郷大畑村のところまで、行き着くのです。そこの領主である、「定近」という人物に到達するのです。1525年大永五年、美濃国に二度の内乱が起こるのです。この内乱で濃州は混乱し、土岐家・斎藤家は一緒に山中に逃亡し、たのです。この内乱で独占したのが、長井藤左衛門尉と長井新左衛門尉(斎藤道三の父)であったのです。
 その後、守護土岐頼武・守護代斎藤利茂らは復帰したが、すでに斎藤家が実権を握っていたのです。ここで、斎藤家が下剋上を持って支配に及んだというのです。その地域の片田舎の領主であった「定近」に斎藤道三が、冷たい水を所望し、「定近様、あなたの今までの行動は水に流します。私の話に載って頂ければ悪いようには致しません。後日返事をくだされ」といわれたというのです。そして水を一気に飲み干し、即座に帰っていったというのです。
 この斎藤道三は、長井・斎藤・土岐と近づいては、虫を踏みつぶすように彼らを殺害したというのです。彼が蝮の道三といわれるゆえんなのです。「定近」という人物は、学問が好きであったが、戦は好まなかったのです。それゆえ、最終的な判断は、この一族を集めて、大畑村を出ていくという選択だったのです。「巳弘」という気丈な女性が「定近」の妻で、利発な女性という事でした。「定近」に提言したことは、「この人の世、どこへ行っても骨を埋める位の青々とした美しい山があるではないか。あなたが活動できる場所はいたるところにある」と、口添えしたことが、領地を離れるという事だったようなのです。
 このような内容は、金森家に伝わる一族の話として伝わっている事なのです。そして、最大先祖を遡っての原点のようでした。要するに、最終的に戦という時には、一族の事を思い、その場から立ち去ってしまう潔さがあったという事なのです。代々、血筋に流れている性格は、決して戦を好まないという事なのです。それは、私にも脈々と伝わっているのです。極真空手という実践空手を選択した私でしたが、決して喧嘩などは、仕掛けたこともないのです。そのような意味で、戦いを好まない性格が、先祖から来ているという事を、しっかり受け継いでいると感じているのです。