2017年8月29日(八段語録3101)
今に生きる(6)

今、自分自身の目標の達成を願うのです。
そこで、何を目標にしているかという事です。
当然、家族を待ち望んでいる事を目標にしているという事なのです。
その目標は、当たり前のようですが、父母としてしっかりとするとう事です。
しっかりと見据えて、良き父母を目指すことは大変な事です。
父母としてしっかりしないが故に、家族が崩壊するのを見てきているのです。
だからと言って、私達がしっかりしている父母であると、自分達からは言い出せないのです。
あくまでも、子供達が良き父母であると選定することになるのです。
我が子供達が、納得して、父母として認めてくれなければ問題が起きるのです。
子供達の願いとしては、純粋に成長して、人格を形成していく事なのです。
その為にも、家では、父母が尊敬されなければならないのです。
そうでなければ、心が素直に育つはずはないのです。
父母として、しっかりするという事で、子供達との良きコミュニケーションが取れるというものです。
さらに、子供達が、自らの意思で持って、責任を持って人生を歩めるというものです。
家族において、子供達に感謝されるような生き様は、父母として必要であるということです。
そのような当たり前に、父母になる、日々を地道に努力するのです。
それ故に、私自身の一日の生活をいい加減にはできないのです。
一日の生活を、ただ平凡であっても貴重であると捉えるのです。
実に、家族の中で、親子は、糸と針のようなものです。
着物を縫う事ができるというものです。
糸が針について来なければ、着物は縫えないのです。
針だけ、いくら着物に通しても、ダメなのです。
針も糸も重要なのです。
親子のように糸とも針がお互いに役割を果たして繋がってこそ、着物が縫えるということです。
人生振り返って見て、スムーズな人生とは限らないのです。
山あり谷ありです。
その行く手を、着物を作るように、裁断し縫っていくのです。
日々の生活の中でも、着物も破れたりするのです。
破れたり着物を縫い合わせるにしても、しっかりとした針と糸は必要なのです。
子供達に「しっかりしなさい」と強要するよりは、親としてのいい加減な日々を送らないという事です。
そのような、姿勢があってこそ、家族は守られるというものです。
それだけに、いい加減な父母にはならないように、一日をしっかり歩のです。
ところで、当たり前の家族の父母であるという事を、強調する為にも、真面目に生きるのです。
人生色々あります。
それでも、いずれ時が来れば、輝く人生であると思えると思うのです。
夜空の星の輝き、真昼の太陽の輝きを放つようになるというものです。
確かに、家族が輝きを放ち続けるということは大変なことです。
輝きを放たなくても、親として子供達を守る道は行けるはずです。
それにも増して、家族を死守するように自分自身に言い聞かせるのです。
家族を守るということに、勇猛果敢に挑戦するのです。
家族を持って、今に生きるということは、親子が一致団結するということです。
何も持たない裸一貫で出発した夫婦です。
それが、確かな我が子供達を設けることが出来たのです。
それ故に、父母としての責任を果たすことが、勝敗の分岐点ということです。
人生に試練がつきものであることは十分承知しているのです。
それでも、勝敗を決定するのは、親子が針と糸になるということです。
そして、家族全員が責任を果たすのです。
その責任の先頭を父母であるということです。
結論として、たわいのない目標と思われるかもしれませんが、必死になれるのです。
家族に愛情の全てを投入しても、満足しか残らないのです。
家族に投入する事が、自分自身の目標なのです。
その為に、「今に生きる」という事です。
当然、経済力も必要です。
そのほかに、時間と空間を活用することも必要なのです。
そこに、あらゆる智慧と愛情を注ぎ込むということです。
正しい判断を求められることもあるのです。
それだけに、家族全員が一丸となって、保護し合うのです。
目標が、家族を守るということにしていますから、それこそ、悔いがないようにということです。
今、人生の戦いの真っただ中です。
それ故に、後退はできないということです。
今日も、心に、感動を抱きました。
四十年ぶりに、北海道で歩んだ夫妻と会いました。
この夫婦には、女のお子さんがいて、幸せそうでした。
他人の家族に心を発した一日でした。
かつての二十歳過ぎの女性が、結婚して、幸せそうでした。
我が家で、接待して、色々な話に及びました。
わずかな時間でしたが、お互いの家族の話で持ちきりになりました。
こんな幸せな事が、長く生きれば、訪れるということを感じた次第でした。