2017年8月25日(八段語録3100)
今に生きる(5)

雨が三十数日続いています。
昨日、午前中、雨が止んでいたので、すぐさま農作業です。
十日前に植えていた白菜の芽が、畝の線状に一直線に出してました。
今年は、雨で白菜の発芽がスムーズでした。
さらに、玉ねぎの種も、若芽を出していました。
その奥の畑を、前回耕していた土を、耕運機で柔らかくしたのです。
畝を4本立ているうちに、滝のような本降りの雨です。
結局、午前中で、農作業中止に追い込まれました。
午後からは、妻と娘とで外食に出かけました。
娘に、もうそろそろ結婚を考えても良いのではという提案です。
順香も、それなりに考えているようでした。
それでも、相手しだいということでしょう。
娘は、当たり前ですが、農作業のようにはいかないようです。
親の気持ちが、結婚には対しても一生懸命なのが分かるようです。
それだけに、大事に結婚を考えたいようです。
見守る親と、娘の挑戦は続くようです。
さて、親として、娘に待ち望むことは一体なんであるかということです。
幸せな人生を送って欲しいという事です。
結婚は大切な選択肢という事です。
良く育てた娘が、相手を見つけられないようでは、親として辛いものがあります。
今まで、良いご縁はありましたが、結婚には結びつくことがなかったのです。
娘の成長は、今は目覚ましく、著しいものがあります。
その成長を眺めて、会話を重ねていくことが出来るのも、親として幸せなことです。
二人の娘がいますが、どちらも伸び盛りです。
何か心境の変化でしょうか、先月から二人とも空手を再び始めました。
小さな時は、私から子供達に一方的な強制でした。
それが、今は、本人の課題を持って、二人とも空手に一生懸命です。
それも、長男の息子の聖義の指導を二人は受けているのです。
二人とも、兄の聖義を尊敬するようになっているのです。
空手が、大人になって兄妹三人を結びつけているのです。
そても、長男がまとめ役です。
子供を二人も授かって、自信がみなぎっているのでしょう。
的確に妹達を空手を通じて指導しているのです。
ところで、今日まで、私達夫婦は、親を続けています。
それも、子供達から、後ろ指を指されないように引き締めて日々を過ごしています。
子供達の心を注意深く観察すると、分別ある能力を常に、磨いているのです。
それゆえに、子供達に対して、父母であり続けることが、私達夫婦の挑戦にもなるのです。
人間は何故かしら愚かしいものです。
悪魔の放つ罠に陥りやすいのです。
不倫もあるでしょう。
犯罪に手を染めるようなこともあるかもしれないのです。
そのような罠にハマらないように私達が夫婦は真剣な生活です。
決して、浮ついてはいないのです。
それ故に、トラブルもあります。
飲み会と称して、ふざけた付き合いは好まないのです。
敬遠される立場にも立ちます。
それが、私に取って、不快にもなりますが、決して迎合しません。
その信念が、よく思われない時もありますが、関係ありません。
守るものが家族であり、この手塚グループであるという事です。
子供の成長の為に、何をどうするかという事を意識します。
夫婦として、天地に恥じない生き方をするという事です。
しっかりとして、親としての精神を残す事だという気持ちです。
それが、今に生きるという信念になっているのです。
私達夫婦の出会いは、純粋な出会いでした。
二人から流れた愛情の世界は、生命が躍動するようでした。
十年間の準備期間を経て、夫婦としての愛情の恩恵を受けてきたのです。
更に、子供が授かり、親としての無限な愛情に挑戦し続けてきました。
これから、子供達がどのように生きるにせよ、私達が見本であるという信念です。
恐らく、子供達の人生は、スムーズに人生はいかないでしょう。
それだけに、安らぎの止まり木になれるようにしたいのです。
そして、相談されるような心の広さを持とうと思うのです。
ともあれ、今日は久しぶりに晴れ渡る一日なのです。
布団も日光に当てて、乾かします。
家中カビだらけのようですから、窓を開いて、風通しよくします。
久しぶりに晴れ渡った日に乾杯です。