2017年8月22日(八段語録3099)
今に生きる(4)

世界巡回を一通り終えました。
ロシア・ヨーロッパ・アメリカに世界中の指導者が集まって来ました。
セミナの最中に、ノルウェーと南アメリカがグループに加わりました。
愛情は国境を超えて世界に繋がるということを実感するのです。
三ヶ月の間に、世界を行ったり来たりしたものですから、体調が狂います。
若い時でしたら、「御構い無し」というところでしょうが、今は違います。
疲れが残るのです。
それだけに、しっかりリフレッシュしなければ体調を保てないのです。
メンテナンスが必要ということです。
思えば、手塚会長と十数年前から二人三脚で世界巡回をして来ました。
もうそれは、思い出としての出来事になってしまいました。
今世界巡回は、指導力のあるアメリカの伊藤師範一緒なのです。
そして、年に一度は、世界巡回に手塚文子夫人と一緒というペースになります。
確かに、会長がいない世界巡回には不安がありました。
それでも、時が流れるという事を意識するしかないという事です。
十分に対処は出来ないと思いますが、一生懸命頑張るだけです。
その姿勢が、これからの私に願われているという事です。
さて、世界と日本を抱きながら、気持ちは、いつも最前線で先頭に立つのです。
私の力などで、手塚グループは動くはずはないのです。
発展もしないのです。
いつも肝に命じていることは、私と指導者が心を合わせて調和しているかということです。
大切なことは、「人は石垣・人は城」ということです。
どれほど、現場の指導者を大切にしているかということです。
その能力を磨く以外に発展はあり得ないのです。
人の能力を活かす能力を持つ事を与えてくださいと祈るばかりです。
その為にも、私の精神修養は欠かせないのです。
部屋の中で座っていたとしても、現場の指導者に心を傾けるのです。
そして、道場生に愛情を傾けることができるように祈るのです。
思いが、道場生一人一人に連結できるようにという気持ちなのです。
最前線に立つ理由は、道場生を育てる為です。
最高の作品は、道場生が社会貢献できる人なのです。
その為にも、日々の前線活動であり、一生懸命ということです。
最前線で、消費する日々は、素晴らしい道場生という作品を完成させるためということなのです
ところで、二十数年の歳月を極真の指導者としての歩み続けると、卒業生にも会います。
例え一緒の極真の道を継承してくれなくても、活躍する姿は、眩いのです。
今も、自分の道場を開いて、青少年教育を続けている弟子もいます。
司法書士で事務所を開いている弟子もいるのです。
それだけでなく、社会で活躍している道場生も多いのです。
もちろん、感謝してくれる道場生もいれば、そうでもない道場生もいます。
だからと言って、「この道場で空手を修行したからだ」という要求することはないのです。
道場生を育てたという業績のみを誇るのです。
自己満足と思われますが、結果的に社会が良くなれば良いのです。
極真精神を刻んだ道場生の一人として、社会に羽ばたいたという事実が誇りなのです。
経済活動をして、金銭が潤って、生活が良くなるということも必要なことです。
それは、消費にしかならないと発想してしまいます。
実りは人材育成でありたいのです。
決して、感謝される事を望むつもりはないのです。
我が子がいて、道場生という子供達がいて、手塚グループがあるだけで満足となのです。
我が家と、このグループの発展を遂げ続ける事に人生をかけるのです。
もうすでに、中核の弟子が活躍する時代を迎えているという事です。
結論として、このような人生を与えてくれた神様に感謝なのです。
自分で開拓したようにも思うのですが、全て導かれたという気持ちが強いのです。
このように、充実した人生は、そう滅多に出会えるものでもないのです。
まして、坊さんでもないのに、修行の道を継続できたのです。
このように、高齢者になっても、日々修行と手塚グループの為に采配を振るえるのは感謝でしかないのです。
そして、今に満足しているかというならば、限りなく愛情力に満ち溢れるのです。
それだけに、無限な願いを求めてしまうという欲求にかられるのです。
後世に残せる全てを築き上げたいと思うのです。
名実ともに、銀幕スターのように自分自身を意識させてしまいます。
一瞬でも、仏になるような、慈愛の心に満たされるのは、一生懸命だからということでしょう。
かつてなかった、将来もあり得ない貴重で尊い生き様を目指すのです。
それが、正直な発想です。
益々、この歳にして、気持ちが充実するのです。
今日も、娘の順香と岳山荘で試行錯誤です。
良い隠れ家になっています。
そして、完全燃焼をする覚悟で、世界の中心にいるというイメージなのです。