2017年8月21日(八段語録3098)
今に生きる(3)

人生振り返るまでもなく、今まで、大いなる旅路なのです。
私の人生の転換期は十代で訪れました。
出会いは私を変えるようです。
そこから、真剣な人生を歩むことになったのです。
青春時代から真剣勝負を繰り返すようにしたのです。
それ故に、極真の修行は自分に合致していたのです。
また、級が上がることが、励みになりました。
そのような意味では、真面目に取り組んだ人生をということでした。
人生の転換期から、五十年余の人生が過ぎようとしています。
結婚をして、三人の子供達にも恵まれました。
長男が結婚をして孫二人にも恵まれたのです。
人生の黄昏のように思われがちですが、気持ちは青年そのものなのです。
それは、まだまだ続く旅路ということという意識なのです。
人生を戦い抜いているのです。
まだまだ何が待ち受けているのかという期待感に溢れています。
そのような、片道切符の大いなる旅路を歩んでいるということです。
さて、大いなる旅路としての人生を過ごして来たのです。
結果、あらゆる愛情の訓練をさせられました。
その中で、考えさせられることは、親になっていく道のように思うのです。
子供の時があり、青春時代があり、妻を娶り、子供を育てて来たのです。
それは、取りも直さず、愛情の開拓なのでした。
日々が、愛情の啓発なのです。
確かに年齢は、高齢になって、肉体は衰えていくようです。
それでも、愛情の世界は経験と共に、広がりを見せるのです。
書籍を読めば、愛情が充足はされるというものではないのです。
あくまでも、愛情を伴った経験をしないと始まらないのです。
ただ生きるだけでは、意味をなさないのです。
衣食住の生活は、愛情の開拓者としての備えられたものとしての意識を持つのです。
その為にも、一生懸命生きようとする努力は必要なのです。
途中で、倒れるわけにはいかないのです。
愛することに情熱を失ってもいけないということです。
また、身勝手にやってしまうような、貧弱な心で対応する訳にも行かないのです。
ところで、これからの大いなる旅路なのですが、一生懸命に歩くのです。
愛情を抱きながら、腰の骨が砕けようと、足が骨折しようがこれからも歩むのです。
極真空手で養った精神は、最後まで頑張るという根性なのです。
これからの人生は、それを証明する歩みなのです。
六十四歳にもなろうとする年齢ですから、待ち構えているのは、肉体の衰えです。
また、病気にいつなるかも、分からないのです。
それでも、健康は保とうとします。
元気でなければ、愛情も何もあったものではないのです。
肉体を健康に維持しようとする気持ちで、衰えに抵抗するのです。
それは、あらゆる困難に立ち向かう為なのです。
今でも、健康であるからこそ、歯を食いしばって、戦えるというものです
死ぬ覚悟は、健康でなければ無理です。
その為にも、自己管理を徹底して取組もうとする訳です。
それ故に、極真空手の修行は、やめられないのです。
修行することによって、健康を維持しよう、愛情を開拓するのです。
その道を、大いなる旅路であると結論付けているのです。
最終的に、愛情の開拓をして、大いなる旅路を歩むのですが、自分自身が満足するということです。
それでも、勝敗の分岐点を示すならば、家族に喜んでもらえる人生はでありたいということです。
また、誰かに喜んでもらう人生を歩むということです。
それ故に、まだまだ後退は出来ないのです。
人生に引退などないのです。
多くの人のために、役立って、為に生きるということです。
それでも苦労するとしたならば、自分は満足ということです。
その為にも、敗者にならないということです。
それを自分の運命にするのです。
老化や病気で愛情の道を中断する訳にはいかないのです。
誰かのために、毅然と戦うのです。
大いなる旅路のために敗者にならない努力をするのです。
これからの道、悲惨な姿をする場合もあるかもしれません。
絶望するかもしれません。
それでも、前に前進するのです。
大いなる旅路のために、これからも先頭に立つ努力をするのです。