2017年8月17日(八段語録3096)
今に生きる

今年の夏は雨のち曇りで、涼しいのです。
昨日、このままでは、時期が外れてしまう白菜の種を植えました。
外れると、葉が巻かないのです。白菜で無くなります。
ちなみに去年は、半分失敗してしまいました。
それで、今年は失敗を繰り返してはいけないと作業に取りかかりました。
雨続きで、畑は泥まみれです。
娘の順香が畑の雑草を刈るのです。
そして、祈るように、耕運機を投入したのです。
機械が動かないと思ったのですが、しっかり仕事をしてくれました。
馬力の強い機械だったので、何とか畝を立てることができました。
牛糞を投入して、野菜の肥料を入念に蒔いたのです。
その上に、小さな白菜の種を優しく添えたのです。
半日の行程で、十五の畝を立てることができました。
娘との共同作業は、幸せに尽きます。
雨振りと泥まみれでしたが、豊かな農作業の時間を持つことができました。
後は、美味しい白菜が育ってくれることを祈るばかりということです。
さて、気にかかることに、最近のニュースは、偏向だらけです。
小さな事で、政権を揺さぶるようです。
事件・事故は事実で構いませんが、異常なまでの意図のある報道にはうんざりです。
視聴率が上がるのですから、国民にも責任があるのでしょう。
喜怒哀楽の多様なニュースも大切かと思ってしまいます。
不条理と不審感を追求するのもマスメディアなのです。
それでも、人の不信感を助長するのではなく、本質をついてもらいたいものです。
不条理と不信感は人間の本質と違います。
誰もが、悲しみを嫌います。
孤独も嫌な事です。
何を願うかというならば、喜びと感動を求めるはずです。
それだからこそ、特ダネで視聴率を上げる事より、国民の幸せに寄り添ってもらいたいものです。
ところで、このような誇張されたニュースを国民に流すようでは、商業主義と言わざるを得ません。
何をマスメディアは残そうとしているのでしょう。
不条理と不審感を煽り立てる事ばかりです。
それよりも、国民の自由な環境での幸せを感じさせるような報道をすべきであると思うのです。
もちろん、戦前のような、大本営発表のようでも困ります。
ただ、人の本質に合致した報道になればという願いなのです。
今は、ラインを始め、ツイッター、フェイスブック等自由に表現できる時代です。
商業主義のマスメディアは、必要ではなくなる時代が近くまで来ているのです。
多くの人は、最大多数の最大幸福を望みます
誰もが、敵視する観点からは、心が病んでしまいます。
愛情が注がれているところに、安らぎを感じるものです。
政権や世間を度外視すれば、生活はギクシャクしてしまいます。
そうであれば、社会全体を擁護しながら、建設的な意見を述べる事も重要です。
反社会的な行為は、厳しく取り締ま理を受けています。
それと同じように、避難合戦は、程々にということです。
時の政権や地域社会を敵視せず、融合してから、独自性を出したいものです。
当たり前ですが、誰もが愛情を注がれることを願います。
もちろん、衣食住の充足も必要です。
人の欲望を分析するならば、個人を超えて、家庭そして、地域社会へと繋がります。
それも、絶えず次元を高めようとする欲求に駆られるのです。
誰もが、喜び合う環境を求めるのです。
共に生きることに、願いを託すのです。
結婚が然りです。
また、家族を形成するのも、共生共栄からくるのです。
だから、相手が喜べば、自分が喜ぶという世界を求めるのです。
つまり、個人の喜びが、家族の喜びになることを願うのです。
あくまでも、皆んなで喜ぶのとが生き甲斐となるのです。
それが、人生を何倍も充実して楽しく生きれるというものです。
それだけに、娘との共同の農作業は、幸せの極致でした。
魂が震えるように、嬉しいものです。
今に生きる生き方の実践です。
マスメディアに惑わされることなく、愛情に行きましょう。