2017年8月15日(八段語録3095)
個人から家族主義へ(7)

結論として、足場は家族ということが、個人の人生の締め括りということです。
この手塚グループの伝統を刻む団体にできるかは、私達の心構えということです。
何を始めるにしても、家族が助け合っていることが大切です。
例えば、氷が張るのも一点からです。
それと同じように、何かを始める時、氷が張るのと同じように、一点からの家族です。
その家族が足場であるということを手塚グループは主張するのです。
家族の中で、分別もつかない幼な子がいつのまにか育つのです。
何が正しいかという事を家族の中で学ぶのです。
手塚会長が、極真という道を通じて、全世界とつながりを持ったのです。
武道に家族思想を導入して、世界を結びつけるという構想を描き続けたのです。
今年も、ロシア・ヨーロッパ・アメリカと数多くの家族と会ってきました。
また、日本中も回ってきたのです。
確かに、原点を千葉に置いて出発です。
今もなお、流川に拠点を置いているのです。
この手塚道場から、家族を中心とするという壮大な理想を試みたわけです。
家族という発想からの世界との繋がりを持つという発想での歩みは、実験のようです。
さて、会長と家族であるという理想を引っ提げて世界を10年以上も巡回しました。
これから、一体どうなるのだろうという不安も結構大きかったのです。
この極真会館に置いて家族で理想は通じるのだろうかという気持ちでした。
新たなる流浪の民になるのではないかという心配もありました。
家族であるという主張は、何の権威もないようにも思えたものです。
世界への行き帰りの道中は、会長と夢ばかり語りました。
堂々と宣言するかのように、前進するのです。
そして、心ある師範達と出会ってきたのです。
決して、物怖じしない姿勢で、対応して来ました。
夢ばかりが、先行する世界の指導者との会話です。
それも、片言の英語を駆使したという事でした。
今考えてみても、人間業ではなかったのです。
世界を巡回して日本に帰って来ても、会長との電話は夢ばかりです。
何を打ち合わせても、最初は、理想からでした。
そから、具体的なスケジュールや構想理想が始まるのでした。
それは、今思えば、何とも言えない楽しい思い出になっているのです。
ところで、極真空手の真髄を家族において、何か不自由なことがあるのでしょうか。
何の問題も無いということです。
益々強固な信頼関係が築かれると思うだけです。
世界の極真メンバーは、憧れの中で、日本を目指しているのです。
その根本に姿勢を、揺るぎない家族に置くとするならば、試合の勝ち負けも超えるのです。
それ以上に、家族としての強い信頼関係が結ばれるというものです。
井の中の蛙大海を知らず知らずという諺もあります。
強さだけを追求するならば、組織の発展は曖昧になってしまいます。
それこそ弱肉強食の世界を作ってしまいます。
手塚グループを愛情の通わない組織にはしたくないのです。
極真空手は、日本の武士道精神に立脚して発展はしているのです。
つまり、日本の土壌で築かれたものですから、原点を家族に置いて不思議でも無いのです。
また、家族であるならば、運営もスムーズになるのです。
極真空手をこよなく愛するが故に、家族での絆は硬く結ばれるという主張です。
そのこと故に、さらなる努力を積み上げて、極真精神に結びつけるべきです。
手塚グループの骨髄に秘められたおくぎは、家族を持ち出すということです。
そうすることによって、目指すべき武士道精神に繋がるというものです。
手塚グループの盤石な基盤は、会長と共に歩んで、布石が打たれました。
会長の一人での戦いを完了させるようにするのです。
ゼロからの出発が、継承されているのです。
決して基盤が十分ではない中、一人で背負った会長の足跡を再び辿るのです。
このような私の姿勢を、手塚夫人は支持してくれるのです。
そして、誰よりも、会長の姿勢の良き理解者ということです。
それだけでなく、世界の杉原事務局長が実務をこなしています。
それも、会長の理想を実現しようと必死なのです。
また、福岡では川崎師範、広島宮城師範、大阪金師範、千葉中埜師範、川尻師範、大河原師範、埼玉の輿川師範、東京の笹森師範、新潟の田中師範、宮城の菅野師範、秋田の春日師範
福井の師田師範が各ブロックの中心なのです。更に世界はアメリカの伊藤師範が事務局を運営しているということです。
これからの、手塚グループは急速に発展はするのです。
手塚会長でしか成し遂げることができない道を私達は歩のです。
だから、大きく極真会館の大転換を果たすグループはということです。
まさに、家族を発射台にして、大きな理想を果たすのです。