2017年8月12日(八段語録3093)
個人から家族主義へ(5)

極真空手の道は、修行の連続です。
空手修行が、選手を引退すれば終わると思っていました。
それは、全く異なっていました。
人生の修行は、現役時代をベースにして、更に継続でした。
私の場合、選手生活を終えてから関西で指導者としての道を選択しました。
自分の信じた極真空手が、どれだけ、多くの人に影響を与えられるかという壮大な実験が始まったのです。
一週間に一回、府立体育館の地下のサブアリーナや武道場を使用しました。
奈良や和歌山からも参加して来ました。
勿論、月謝は全く取らずに、ボランティアという事でした。
そこでは、空手着はもとより、運動着で十分という発想でした。
それでも、噂を聞いて、数十名の人達が集まってくれました。
空手の指導が三年半続きました。
人を成長させる事を自分の成長のように感じて指導したものです。
指導者の道は、自らが納得して極真空手の修行をするのと、訳が違います。
道場生の気持ちを納得させる稽古を心掛けなければならなかったのです。
つまり、心技体の理想とする姿を、指導者として表現する努力の連続になりました。
それが、稽古の中で道場生を生かすということにつながりました。
さて、このような稽古を重ねていくと、指導者と道場生に信頼関係が生まれます。
この信頼関係によって、道場生に対する教育による前向きな転換が始まっていくのです。
この稽古で人生の転換の交差点が見出されるということです。
私自身という標本が、肥料になって、道場生が育つという現象が現れたのです。
つまり、極真空手で一つのレベルと接触することによって、道場生の目標が定まる訳です。
道場生が、人生のスクランブルの中、新たなる方向性の目標が定まるという訳です。
極真空手の伝統が道場生を育てるということになるのです。
道場生に素晴らしいプレゼントを、与える事になるのです。
それだけでなく、私自身も、道場生との接点で、多くのプレゼントを頂く訳です。
選手として極めて、指導者としての、新たに生まれ変わるチャンスを頂く人生になるのです。
大阪での指導者としての経験は、聞くもの、見るものが違って映るのです。
この時期は、新婚生活という事もあって、刺激は天地がひっくり返るようでした。
これは、経験して見なければ分からないことです。
道場生を教育していこうとする姿勢が、実は私自身を新たなる世界に引っ張ってくれるのです。
ちょうど大阪で、三人の我が子を授かったのですから、更に、不思議な刺激なのです。
このような、刺激が人生であるということは、独身の頃は、到底考えられなかったのです。
ところで、僧侶のような自分に対しての修行が、現役を終える三十四歳まででした。
その後の妻を迎えて家族を持って、指導するという新たなる境地になったのです。
それは、どんな書籍にも書かれてない事です。
実に、未知との遭遇ということです。
それなりに、暗中模索するような人生を歩むということになったのです。
どんな教科書を眺めても、参考になる生き様は描かれていないのです。
修行時代は、宮本武蔵とか、姿三四郎、そして倫理道徳が参考になりました。
ここに来て、新たなる転換点の開拓ということでした。
まさに新たなる次元の人生をということでした。
極真空手の指導だけでなく、夫婦の調和や子育が始まったのです。
ことさら、四面楚歌ということです。
全てが、開拓なのです。
そして、新しい道を極めなければならないという境地に至るのです。
私自身に脈々と受け継がれてきた、極真の伝統の応用が始まるのです。
それは、私に対しても、道場生に対しても、大いなる実験ということです。
将来の希望となることができるかという、壮大な構想へと夢は広がるのです。
まさに、人生の転換点であり、新しい航海に出かけるようなものでした。
結論として、どのように方向転換されたかというならば、自己管理空手による愛情管理なのです。
道場生をおもいやり、更に、家族を愛するという姿勢なのです。
曹洞宗の教祖である道元でさえ、教えることのなかった心境です。
ちなみに、愛の道を通過して生まれたのがわが子でした。
そして、道場生という多くの弟子達でした。
これは、何の疑問もないことです。
その新しい航海での出来事が、手塚会長に出会いをもたらしたのです。
それが、道場生を家族として繋がる手塚グループへの道ということになったのです。
修行時代に、妻と出会い、プラトニックな迄に、慕う心が、会長との二人三脚につながったのです。
家庭を持ってからは、夫婦関係が大切であり、親子の絆を深め、道場生の成長を促すという立場に立ったということです。
世の中では、「やればできる」ということを言うのですが、家庭を持ってからの人生は、慎重にならざるを得ないのです。
それは、家庭も道場生も大事にするからなのです。
当然一人ではできない境地です。
腕力や気合で成せるものではないのです。
しっかりとした家族と道場生を守るという信念がなければ崩れるのです
四方八方を定めて、中心の位置を外さずに、慎重に行うのです。
それが、家族を持った指導者の生き様の境地を目指したという事です。