2017年8月10日(八段語録3092)
個人から家族主義へ(4)

アメリカのユタ州のソルトレイクでセミナーでした。
道場生は、三日間、しっかり空手の技術を学んでいました。
有段者から初心者まで多くの人が集うのです。
アメリカ社会にあって、礼儀と節度を守るセミナーの開始です。
このセミナーは、南北アメリカの指導者が集うようになっています。
アメリカを指導する有段者を育てようとするのです。
もうすでに、10年前から指導してきました。
しっかりと、種が植えられたのだと意識をしているのです。
ところで、手塚会長と共にアメリカを訪問してきました。
決して平坦な道ではなかったのです。
それでも、将来、アメリカ全州に拠点ができるのも夢ではないのです。
指導者として活躍できる人材も、多数集まっているのです。
アメリカは世界の中心と言われます。
世界を股にかけて活躍する指導者が育つのも時間の問題です。
私のこのセミナーに掛ける思いは、並大抵ではないのです。
それだけに、一日中、充実していたのです。
さて、世界を指導する人材を育成しようとするのが会長と私の夢でした。
その夢が、日を追うごとに叶ってきていることに驚きを隠せないのです。
そう考えると、人材育成において、想像することが出来ない程の奇跡が起きたという事です。
今紛れもなく世界の場所で、世界を指導する人材育成を手掛けているのです。
アメリカの道場生を指導してみると、社会的にも地位の高い人もいるのです。
そのような道場生も、極真を信頼して指導を受けてくれるのです。
はるかに、私より優秀な人でも、一挙手一投足に敬意を表してくれるのです。
私は、感激するだけでなく、道場生が、より素晴らしい指導者に変身することを期待するのです。
世界の指導者に、ここに集まった道場生を教育することが、人生であり得たのかと目を疑うのです。
私に関わった道場生が、世界をリードすると思うだけで、胸が高鳴ります
そのような事ですから、自分にも厳しくなります。
新しい刺激を受けて、襟を正しながら、新たな自分を見出そうとするのです。
このような夢を実現しているのです。
それだけに、人材育成という醍醐味は、やめられないのです。
この目的の為に、自分と自分の家族を磨いてきたのだということです。
これから、生きている限り、教育というミッションに全てを捧げるのです。
ところで、私自身に、教育者であるという観点から絶対に離れないのです。
今迄、極真の修行をしてきたのも、新しい求道者に対して、教育したいからなのです。
人生を振り返るまでもなく、あらゆる境遇に立たされました。
それも、教育者であり続けるための、肥やしになっているのです。
何故ならば、闘って少しでも切り開いた内容を後世に伝えたいのです。
今迄培ってきた極真の伝統を、道場生の心の奥底に植え付けたいのです。
私の人生の最終目的は、先祖に喜んでもらえる道。
そして、これからの人達に武道精神を伝える道なのです。
今迄歩んできた極真の道を、正しい道として伝えたいのです。
極真の伝統が、時代と共にあって、次の世代に大きな影響を与えるかもしれないのです。
このようなミッションを持っていることは、実に痛快なことと思うのです。
伝統の絆を固く植えることできる一つの道として私は、選択したのです。
教育者として、新しい世界の教育者としての主体性を持とうと思うのです。
そして、家族として、共有できる価値観を持ちたいのです。
それ故に、自分を磨くということに必死になりたいのです。
その生きざまが、自分に取って納得がいく人生なのです。
結局、教育者としての道は、個人としての成功する事は勿論のこと
広大な目標に対して、貢献しようとすることを重要視しているのです。
衣食住の生活は、多かれ少なかれ、皆同じと観るわけです。
問題となるのが、生涯何をしてきたのかということです。
それだけでなく、これからの人達に残せる賜物を捧げることと思うのです。
それも、極真の修行をしたならば、喜んで、諸手を上げられる人ということです。
アメリカに来て、更に、自らのミッションの重要さを感じたのです。
極真の切り口が、多くの道場生に影響を与えるということも実感しました。
このような教育に身を捧げるという事は、趣味ではないのです。
自分の一生を投げ打っても、教育するという信念と愛情なのです。
そうでなければ、続かないのです。
自分自身の信念以上に、自分を否定して、教育を優先させるのです。
教育に臆病になってしまったら、道場生のなすがままになってしまいます。
まさに、人の人生を転換させるぐらいの気持ちで取り組むのです。
教育者として、自分の苦難の人生を役立てるのです。
それは、この肉体と魂を多くの人に焼き付けるのです。