2017年8月3日(八段語録3090)
個人から家族主義へ(2)

 いつも心に蘇るのは、修行時代の生き方なのです。
若くして共鳴したのは、宮本武蔵伝の剣の道を究めようとした事でした。
大山総裁は、宮本武蔵の生き方を熟知されていたのです。
まぎれもなく、修行者としての道でした。
自叙伝でもある、空手バカ一代は、宮本武蔵伝をダブルかのようです。
空手バカ一代は、剣の道を、実に空手の道として同一視しているのです。
功名を上げて、一国一城の主になる夢を持った武蔵が、関ヶ原の敗北で夢を転換するのです。
すなわち、夢の切り口を剣の道とするのです。
それと同じように、大山総裁も、仕官する道ではなく、空手を究める道に進むのです。
その姿勢を、私は極真空手を習う事により真似ようとするのです。
中学・高校と、柔道の道を究めたものです。
強さを求め、人生に対する真剣さを求めたのです。
それは、葛藤の道でもありました。
敢えて、友達と妥協するような生き方を好まなかったのです。
十代は、柔道をベースにしながら、人生の可能性に挑戦する姿勢を求めたのです。
この頃の、私の夢は、思考できる範囲で、かなり大きかったのです。
もちろん、自分の実力を遥かに高い位置に、目標を置いていたのです。
それだけに、修行の道であり、日々試練を、自らに課す日々であったのでした。
 さて、そんな青春時代を送っていた私に、究極の姿勢を与えてくれた人がいました。
潔癖なまでの、自己管理の道でした。
目的を世界の為に成し遂げようとすることで、自分自身を昇華するという姿勢なのです。
つまり、自己管理は、世のため人の為に捧げてこそ、全うできるというものでした。
国の為、世界の為という意識は、確かに自己を投入することが出来ました。
しかし、自己管理は、厳密なまでに自分を見つめるという事に、気づかされるのです。
北海道では滝に打たれ、真冬に石狩の海に入って、稽古も重ねたのです。
級位が上がるごとに、自分の肉体も極真ボデーに近づいていったのです。
さらに、日本中を歩き回りました。
リックサックに寝袋を入れての行脚です。
北海道から沖縄まで、町々を巡ったのです。
多くの人の温かい人情にも触れました。
それ以上に、足で歩く中、世の為人の為になる道を模索したのです。
心は絶えず、修行者の道で、人としてのレベルを上げようとするのです。
そして意識は、世界に通じるかどうかという自問自答を続けたのです。
その仲間たちが、最近ラインで交流しているのです。
昔を懐かしむだけでなく、日々真剣であったと改めて思い出すのです。
ところで、そのような青春を過ごした結果、指導者としての道を歩む意識になっていったのです。
自分に対して厳しい姿勢と、世界を抱く心は、多くの人に共鳴したのです。
また、弟子もできました。
鍛えた自らの全てを投入するという事に、達成感もありました。
二十五歳の頃には、緑帯を締めるようになるのです。
そうなると、道場で指導を任されるのです。
何十名も、私の一挙手一投足に合わせるようになるのです。
公的に立つという事が、どれだけ自分自身を高めるかという事も悟りました。
道場以外でも、指導力を発揮するようになるのです。
ただ単なる空手の技術論だけでなく、魂の叫びを訴えるのです。
日々の活動でも指導者として活躍することができ、道場でも指導者の道を歩み始めるのです。
それは、若くして、納得のいく人生でした。
道場でも重要な存在になったのです。
また、日々の活動でも多くの人に支持をされるのです。
それも、二十代半ばでという事です。
一般には考えられない若くしての生き様になったのでした。
 有難い事に、それは極真会館が生まれたばかりという事もありました。
先輩が倒れていくのです。
厳しい試練に、ついていく事ができないのです。
いつの間にか、指導のトップに立つようになったのです。
誰も歩んだ事のない道を、極真空手という修行の道で味わったのです。
強くなるという事はもちろんの事、それ以上に責任感も生まれたのです。
組織が新しいだけに、究める指導力という事でした。
卓越した、内容を補充するに相応しい立場であったという事です。
青春時代の仲間たちも、その時の私の生き様に共鳴してくれます。
夢は、今もその時も、語っていたのです。
それだけに、今も大きな理想を語る私に共感してくれるのです。
それまでに、今も修行という姿勢を忘れないのです。
お金や権力そして名誉が問題ではなく、日々修行の生き様が大切であると悟るのです。
その生き方を支えてくれた女性が、私の妻という事です。
そして、子供達も支持してくれるのです。
そんな人生、まだまだ続くのです。