2017年7月29日(八段語録3086)
食らいつく人生

 日々が新幹線のように過ぎていきます。
ヨーロッパから帰国して、数日が過ぎました。
畑がありますから、家に帰れば、畑の雑草が目立ちました。
早速、草刈り機で雑草の除去です。
インゲン、ナス、キューリ、ゴウヤ、トマト、夏野菜の収穫も忙しいのです。
野菜は、芽が出るまで、時間がかかります。
雑草を取り除いて、苗をしっかり育てます。
苗が、独り立ちすると、勢いよく、成長するのです。
実に、人の人生に似ています。
環境を整えると、人は、成長できるようになるのです。
そして、余分な枝葉は切ってしまいます。
そうすることで、人として、立派に育つというものです。
農作業と同じような事が、教育にも当てはまるという事です。
農業もそうですが、私自身、人を育てるという事に、生きがいを感じるのです。
たとえ、極真空手という切り口でも、教育という観点から離れないようにしています。
手塚グループの責任を持つものとして、教育者であり続けることを望むのです。
 さて、このような姿勢が、今の世代の人達を育てると思っています。
それだけでなく、これからの世代の人達にも、共鳴されるであろうと思うのです。
全力を傾けて、人生を歩むものとしての誇りを抱いてもらえるようにするのです。
それが、今後新しい教育の伝統を立てようとする指導者としての在り方と思うのです。
還暦を越えて、年齢を重ねてきたのですが、今までの歩みの総決算のつもりでいるのです。
人として、今までの伝統を、青年達に伝授するのです。
伝統を受け継いでもらうと同時に、新しい未来を築いてほしいのです。
そうでなければ、何の生きがいを持つことができるでしょうか。
そう思うと、人生の結論は、周りの人に、喜んでもらえるという事のように思うのです。
そして、すべての力を振り絞って、投入するわけです。
今の私の努力目標は、人として、正しい道として示したいのです。
それだけでなく、理想としての道になりたいのです。
そのような事で、そのような生き様ができれば、こんな痛快な事はないのです。
人としての伝統の道を、切り開くのです。
それだけでなく、世界の道場生に絆として植え付けるのです。
それが、生きがいというものです。
 ところで、今年も、ロシアに出向き、ヨーロッパを回ってきました。
数日後は、アメリカのソルトレイクに向かいます。
教育者としての、主体性をもって、極真の伝統を伝えるのです。
その根本に、家族思想があるという事です。
そのことを、徹底的に教化できる実力を積み上げるのが日々の努力なのです。
確かに、還暦を越えてきているのですから、個人としては十分なのです。
それでも、今後の人生は、家族理想の目的に貢献しようとするのです。
それが、広大な目標という事になるのです。
衣食住性のベースとなる生き方は、大切です。
そして、誰もが、営む生活なのです。
問題になるのは、生涯の生き方をどうするかという事です。
そして、どんな影響を与えることができるかなのです。
私の携わった武道教育から、何を残せるかという事を模索します。
次の世代からも、諸手を上げて歓迎されるようなことでなければという事です。
理念や教えも必要です。
それだけでなく、私の生き様が大切になるのです。
 日々、私から語られる言葉も重要という事です。
私自身、負けたくはないのです。
色々な試練が待ち構えていることは百も承知です。
それだけに、強くありたいのです。
理想武装という事です。
道場運営においても、勝たなければならないのです。
教育に対して、徹底的に勝らなければならないのです。
そのことが、可能なように対応するのです。
盤石な基盤を作っているかというならば、まだまだです。
それだけに、闘いは続くのです。
世界を回りながら、日本を治めるのです。
最もシンプルな家族理想を掲げての武道精神という事です。
ここで、満足することはできないのです。
だから敢えて、挑戦の道を歩むのです。
負けるかもしれなのです。
それでも、勝つ戦いをするのです。
それが、くらいついて、行くような人生という事です。