2017年7月17日(八段語録3084)
武士道精神で、どう生きるか

普通の人生をひたすら真面目に生きるのです。
そのために活用させていただいたのが武士道精神ということでした。
というのも、人生を輝かしく生きようと思うからです。
絶えず成長し続けて、復活したいということです。
暗い闇夜を好む人は少ないのです。
それ故に、生涯において、どんな事を綴っていけるかなのです。
年齢を重ねて、肉体は衰えて行きます。
だからと言って、失望の道を歩んでいるとは思わないのです。
ところで、今まで年齢を重ねてきましたが、理想を果たしていないのです。
まだまだ、到達しているとは思えないのです。
だからと言って、失望などするはずはないのです。
それだけに、人生のチャレンジは続くのです。
目指すところは、私自身に秘められている欲望を満たすという事です。
欲求は、強いのです。
まだまだ、富士山を登るとするならば、3合目までしか到達していないと思っているのです。
タイムトンネルを通っているのですが、途中なのです。
さて、私自身の心構えは、これから、全生涯を集約的に整理して、投入するのです。
ここまで、人生を歩んでみて、心に浮かぶことは、大きな希望と夢なのです。
その気持ちが、どのような生涯を歩もうとするかということに直結するのです。
高年齢に成りつつあるのですが、行く道は続くのです。
そして、はっきりタイムテーブルに載せて一歩踏み出すのです。
人は、コンピューターではないので、正確に推し進めるということにはならないのです。
それでも、試行錯誤しながら、前進するのです。
意欲を、いつも掻き立てようとするのです。
だからと言って、誰かと比較することはしないのです。
自分が定めた路程だけに、黙々と歩むのです。
まだまだ、序の口なのです。
ホップ、ステップ、ジャンプの三段階があるとするならば、ホップの状態なのです。
多くの同僚が、還暦を過ぎると、この世と別れを告げる人が多くなります。
友が地上を去るのです。
だから、同僚や友に託されたと思い、人生を全うしようとするのです。
行く道において、周りに影響はされないのです。
ところで、そのような生き方をするには、社会に巻き込まれてはいけないと言い聞かせるのです。
社会を活用しながら、生きるのです。
それだけでなく、社会に影響を与えるのです。
まして、未来を背負う道場生に、刺激を与えようとするのです。
自分の生き様が、多くの道場生の夢と希望とにするのです。
道場生は、弟子ですので、前向きで捉えてくれます。
しかし、社会では、寂しい人々、無力な弱い人々がいるのです。
そのような人々に、勇気を与える事が出来るようにという事です。
多くの人を背負うのです。
まだまだ、途上でしかない人生ですが、何をすべきかという事です。
十分に時間はあると思っています。
それだけに、武道精神で持って、青少年を教育するのが、天命であると思うのです。
それだけに、生き様が、人々のモデルになれるようにという事です。
心身を正し、後ろ指を刺される事のない生き方をしようとするのです。
極真空手を通じて、武道精神を実践したのです。
四十年余の歳月が過ぎたのです。
結論として、益々全身全霊を投入するのです。
武士道精神の希望の実体を目指すのです。
そして、道場生はをはじめとする人々に、新しい希望と夢を与えるのです。
そのためにも、私自身、確固たる責任意識を持たなければならないのです。
もちろん、不足は当然なのです。
心構えが、そうなっているかという事です。
この心構えが、重要であると思うのです。
それで、人格の成熟を目指そうとするのです。
この世で、私しか出来ないということにはチャレンジです。
そのためにも、自信を持つのです。
多くの人と協調せしめる人格像が願われるのです。
この極真の分野は、私が開拓したとという信念なのです。
現在の私自身を振り返る時、どうするのかが問われます。
それだけに、いかなる人生を切り開くかが問題になります。
その点に重要視して、いかなる武道人生を歩むかを検討するのです。
その意識で、この文章は進めて行くのです。
しかし、果たして今、希望と夢を与えていく人格体になっているかというと、これが重要な問題なのであります。
師範でなければならないという自信をしっかり抱いて、道場生を協調せしめるそういう人格像を目指そうと思うのであります。
師範でなければならないという分野を切り開こうとするのであります。現在の自分を振り返る時、いかなる人生を歩むべきかが問題になるのです。