2017年7月3日(八段語録3083)
結 必要な本人の自覚

 極真空手道を生涯の武道として継続することは、信念が伴うのです。
それでも、途中で歩むことを止めることはいつでもできるのです。
実に結婚した夫婦が、離婚しないように努力する事と似ているのです。
極真の修行も、家族を維持することも、大変な信念と精神力がいるのです。
両方とも、安易に崩すこともできれば、厳しく見つめることもできるのです。
言えることは、両方とも本人の自覚次第という事です。
極真の道は、自らの信念を貫き、全うしようとする気持ちが必要です。
それと同じように、家族を守るという事もです。
極真も家族も、本人の自覚に掛かってくるという事です。
 ところで、私自身今まで、どのように両立させてきたかという事です。
独り身の時は、両親からの援助を受けて空手修行をしてきました。
妻と出会ってからは、彼女との対話を通じて刺激し合ってきたのです。
そして、家族になってからは、極真が精神的主柱になって家族を守ってきたのです。
人生を振り返るまでもなく、極真空手と家族が両立したという事です。
家族がいかなる状況に陥ろうとも、自分なりの確固たる主体性を持ったのです。
また、極真においても修行が深まれば深まる程、慎重に自己の確立を目指したのです。
 そのような意味では、人に振り回さらない生き方という事です。
影響を受けるのではなく、影響与えるかのように、自分の信念を貫くという事です。
人生で大人が、不倫走り、男女の火遊びをしているのを見かけました。
また、酒タバコに溺れている人も大勢通り過ぎていきました。
それで、私自身、批判をし、がやがや噂をするという事はしませんでした。
そのような暇がなかったのです。
極真の修行を究め、良き家族を築くことで、日々忙しかったのです。
理想を実現するために、寝る時間がもったいなかったのです。
まして、三度の食事も、そそくさと済ませたのです。
そんなことで、日々戦闘モード、一色という事です。
極真の修行を全うすることは、容易ではないのです。
また家族を守るという事も、大変な事です。
そのような、真剣な日々は、今でも続いているのです。
安易に人生は過ごせないのです。
当然、誰もがハマるような試練にも出会いました。
人間関係の試練、経済の試練、様々です。
それも、これも自らの信念を貫くという事で、乗り越えようとしたのです。
当たり前ですが、極真会館に入門したから、それで完結するわけはありません。
あくまでも、スタート地点に立っただけです。
修行の始まりなわけです。
また、妻にプロポーズしたから、それで幸せになるかというとそんなことは無いのです。
苦楽を共にして、滲み出る味を共に共有してこそ、幸福になる道を切り開けるのです。
武士道における家族理想は、その当事者が闘うのです。
誰かが、援助してくれるというものではないのです。
全日本に出場して、強く感じたことは、闘いは一人だったのです。
実に孤独でした。
そこで、勝ち取ったものは、相手に勝つという信念であり執念でした。
何度も蹴りや突きが襲いかかって倒れそうになるのです。
それにもめげず、この試合で倒れない理由は、日々の情熱だったのです。
それも、修行の蓄積だったのです。
それでもって、試合に勝った時の気持ちは、極上の喜びでした。
家族においても同じでした。
家族を築くという事は闘いそのものでした。
妻を感動させ続けるには、誠心誠意、真心を尽くすという事です。
また、子供達に良き刺激を与え続けることは、自らを追い込むことでした。
結局、五十年以上の武道人生を続けてきました。
全生命をかけて、闘う日々でした。
それも、一時的な事ではなく、黙々と生涯貫くという姿勢なのです。
当事者として、真剣なのです。
今でも変わらないのです。
高年齢になったら楽だという気持ちもありました。
そんなことは、全くないのです。
黙々と闘う私に、家族は同情してくれました。
また、協力もしてくれたのです。
私がこのような事を発表できるのは、恩師手塚会長のお陰なのです。
会長から、この極真空手で何ができるかという事の指導を受け続けてきたのです。
極真空手の結論は、良き家族を維持、発展させることの指導でした。
それも、切り口が、極真空手なのでした。
もう、私は、この武士道からの家族思想の実践をして、実態を残して行くという事なのです。
色々な価値観があるでしょうが、私はこの観点を重視していくのです。
極真空手と家族が重なる姿勢なのです。
この内容を成就するためには、自分自身に厳しくという事です。
甘えが出てしまえば、全てが奪われると思って、自分に厳しくしていく事なのです。