2017年6月28日(八段語録3082)
第四章 家族と連結された極真修行
極真空手を選択して、修練を積み重ねていく事において、心得ていく事があります。
この道に対して、途中で道を変えてはいけないという事です。
時代の流れで、脚光を浴びることに追随していくとするならば、滅びに至ります。
人気取りだけに、指導者が走ってはいけないという事です。
科学の世界でも、基礎研究が大切なのです。
日本のノーベル賞受賞者の多くは基礎研究が評価されているのです。
極真の道においても、家族においても同じことが言えます。
まさに、変えないことが、極真においても、基本であり、人生においても基本なのです。
というのも、修行において、年齢に応じて、稽古内容は違います。
人生においても、年齢に応じて変化してきます。
その中で、一貫している核心を外さない事が大事になります。
華やかな表面的な現実だけを追い求めるとするならば、足を踏み外すのです。
そのような事を意識して、何事にも取り組むことが必要です。
自分の城は何なのかという事がはっきりわかるようにしなければならないのです。
その趣が、武士道における家族思想という事です。
さて、まず家族について検討してみたいと思います。
結婚して家族を持つという事は、人生における基本という位置づけをします。
その結婚が、継続することなく、離婚再婚を繰り返す時代になっています。
まして、その離婚率が、五十パーセントを越える国も現れているのです。
確かに、理想の家族がテーマの宣伝コマーシャルがあったりします。
それにもまして、家族崩壊の事件が後を絶ちません。
それは、理想を実現する基礎を失っているということです。
失えば、様々な課題を家族で検討するという事ができなくなるのです。
実に基礎を失った状態という事です。
この状態にどのような提言が必要なのかという事を考えるのです。
私達が日々稽古をしていることが生かされるということです。
日々の稽古と、家族の維持を共通事項として発想するのです。
その姿勢によって、維持すべき道が見出されるというものです。
ところで、このグループは、極真空手と結び付けた発想をするのです。
稽古と家族を一緒にするのです。
つまり、極真空手が実践している経験と体験を大切にするという事です。
稽古は神聖であり、家族も神聖なものと捉えるのです。
極真空手において、稽古をしたことのない人にとって、稽古は分からないのです。
何百冊の本を書いて説明しても分からないのです。
試合に出場して対戦することなど、いくら書いても分からないのです。
一度試合に出場すれば、全てがわかるというものです。
それ故に、極真空手の道は、実際にやってみる事なのです。
それも、しっかりとした基本があるのです。
稽古によって、武士道精神が「気持ち」として伝わってくるのです。
そして、技も心も洗練されるというものです。
同じように、家族に関しても、基本がしっかりすれば、永続するのです。
決して、再婚離婚を繰り返すという事も無くなります。
理由は、良き家族を築く基礎として、良き経験と体験で礎がつくられるからです。
その為にも、極真空手の基本と家族として基本は武道精神で共通するのです。
結論として、武道精神と家族を融合させようとするのです。
この思想は、手塚会長がもたらせてくださいました。
そして、このグループの理念と理想になっているのです。
このグループの意図が分からなければ、代表師範の私に聞けというのです。
今まで、くじけることなく、家族を守ってきたのです。
その実態を見本として示してきたのです。
私の歩みは、極真空手の継続と良き家族を築くための日々の努力です。
道場生のあらゆる課題は、この武道精神で越えていけるという信念を持っているのです。
そして、その意気込みは、いまでも、凄まじいのです。
これからも、手塚グループの理念と実行力は不変なのです。
どうして正しいと主張するかというならば、ハムラビ法典にも、聖書にも、コーランにも共通する姿勢なのです。
家族を壊す行為に対しては厳しい掟が書いてあります。
淫行や姦淫の罪は石で打ち殺したのです。
私達も戒めとして、空手の修行と家族を生かす歩みをしようとするのです。
たかが極真空手修行ですが、それは素晴らしい可能性を秘めているのです。
その結実が、家族に連結されるという事です。
それを、確かなものにすべく、極真修行を積み重ねて、家族を築く為の精神力にしようとするのです。