2017年6月26日(八段語録3081)
第三章 日本古来の武道からの家族設計

 日本は海で囲まれているがゆえに、独自の伝統文化が育ったのです。
その一つが、武道です。
武士は、領地の民を守るために、先頭を切って生命がけに戦ったのです。
その伝統が武道には、息づいているのです。
今の時代、日本は平和を満喫しています。
それでも、青少年の教育として、礼節を守るという事で武士道精神は役立つのです。
確かに空手道は一つに習い事なのです。
しかし、そこに秘められた伝統は、現代社会において評価され見直されているのです。
ところで、武道は、家を重んじてきました。
その土地の城主である殿を守り、地域を守ったのです。
その垣根を築いて、わが家も守ったという事です。
その守られた環境の中で、先祖伝来の家を血筋として継承してきたのです。
体裁だけの家ではなく、生命をかけて守ってきたのです。
城や家を守るために、たとえ城主の殿の子供であっても、しつけは厳しかったのです。
家臣として使える養育係が、主としての資質を磨いて差し上げたのです。
それも、心を鬼にしての教育だったのです。
 さて、いつの間にか、私は、修行時代を経て、極真の指導者になりました。
武道を志して、五十数年の人生を送ったのです。
今も道場生を指導しているのです。
それだけに、代表師範として、見本を示す責任があります。
その歩んできた生き様を示して、指導するために、道場生に黒帯を目指させるのです。
道場生が大人として、どのように振舞わらなければならないかを享受するのです。
目指すべき、未来の人格を示すという事は、大事な事です。
道場生に、確かな道標を示さなければならないのも、代表師範の役割です。
空手の技術を教えるだけではなく、生き様を示すという事です。
見本を示すという事は、重要な役割であると心得ているのです。
そのために、現状に甘んじることなく、人生の先輩として先頭に立つのです。
その役割は、平坦な道ではないのです。
私の闘い方によって、これから多くの青少年が社会に貢献すると思っているからです。
 例えば、武人として、青少年時代はどのようであったかという事を語るのです。
空手の修行をしていて、妻との出会いは、どのようであったかも語ります。
子育てはどうであったか。
すべてが、参考になる案件になるのです。
離婚による家庭崩壊が増えている昨今、よき姿勢を示さなければならないという気持ちになります。
見合いであったり、恋愛であったり、様々なパターンで家族になります。
家族を維持するという事は、結婚後の姿勢が要求されるわけです。
つまり、信頼し続ける関係を構築できるかという事です。
結婚したならば、男性も女性も、今まで体験した以上の価値を見出さなければ続かないのです。
そのような日々を構築するために、日々自分自身を磨かなければならないという事です。
その磨き石が道場でもあるのです。
坊主になって寺で修行するわけでもないのです。
あくまでも俗世間で、終身という心がけをするわけです。
私の場合、妻に対して最高の伴侶であることを意識します。
弟になった気持ちも生まれるのです。
さらに、子供のような時もあります。
時には、父親のような愛情で包み込むこともあるのです。
結論として、お互いに助け合わなければ、一日も過ごすことができないという境地です。
朝も昼も必要な存在であるという心が育ちます。
決して、共同生活になってはならないのです。
そして、究極的には、子供を産んで育てて、良き父母になるという事です。
このような生き方は、人として誰もが行く道であると結論つけているのです。
もちろん、例外的な事は様々あります。
それでも、伝統的な家を守るという生き方を実践して、道場生に示すのが私の立場という事です。
道場生が、最終的に良き家族を築き上げて欲しいと願っているのです。
それが有段者の道であると示すのです。
それ故に、真剣な生き方に特化して、指導者として身構え身もだえするのです。
空手の先生だけだとしたならば、楽かもしれません。
しかし、人生の先生にならなければならないという心構えであり決意なのです。
それは、厳しい道になるのです。