2017年6月23日(八段語録3079)
第一章 危機的な家族関係に対処

 私の育った環境が恵まれていたのでしょう。
両親が世話をしてくれました。
学校が休みになると、祖父母に預けられ、田舎でよく遊びました。
祖父母と父母による、愛情の連携で、少年時代は、満ちたりた生活を送っていたのです。
さて、家族は、両親がいて、子供達が育つものです。
そこには、家族という愛情に包まれるのです。
夫婦がいて子供達がいる、ごく普通の生活です。
それがどれかが、欠けるとは、苦痛が生じるのです。
ところが、一家団欒であるべき家族が、道場を開いて、どれかが欠けて不自然な家族に多く出くわすようになりました。
シングルマザーがそんなに珍しくもないのです。
それでも、その家族も前を向いて生活すればいいのですが、複雑になっているのです。
修復することが出来ればいいのですが、複雑な家庭環境になってしまうケースが多いのです。
家族の団欒は愛情に満ちる場所であると思うです。
その為に、家族のありようを考えてしまいます。
難しい話をするのではないのですが、そこで家族の持ち主を問うのです。
誰だと特定できないのですが、夫婦と親子の存在は、必要であるのです。
 さて、その必要な夫婦と親子の存在を横取りするとしたら、これは大変な事になるのです。
まさに、家族の崩壊につながるのです。
夫婦間で、夫が他の女性と不倫の関係になったならば、妻は発狂するばかりになります。
また、子供を交通事故で失ったならば、悲しみが家族を覆うのです。
どちらの場合でも、家族が正常ではいられないのです。
そこで、家族の持ち主は誰かという事を問うとします。
やはり、誰だと特定できないのです。
家族には、全ての存在が必要なのです。
そのような事で、家族で一家団欒の愛情を維持するために、誰一人とかけることが出来ないのです。
だから、家族にとって、誰か一人でも、横取りされたらたまったものではないのです。
家族にとって、一人欠けたとしても苦悩に満ちてしまうのです。
それ故に、家族の一人一人を大切にしなければならないのです。
理想的な家族とは、どんなことがあっても、一人一人が欠けてはならないという事です。
そこに、団欒があり、対話が満ちのです。
それが、人にとって幸せという事です。
 ところで、家族を蔑ろにして、武道をするとするならば、このグループの理念に反するです。
空手道に、家族を大切にするという概念を強調しているのが、手塚グループなのです。
それ故に、空手道を修練するうえでの、基本原則があります。
それは理想の夫婦があり、理想の親子があり、理想の兄弟で築くことです。
武道精神で、家族が満足する環境と愛情を見出すことが無ければ、空手の意味を持たないのです。
このグループの家族という意識に対する執着は半端ではないのです。
他の極真の派閥と手塚グループを区別するならば、家族を前面に押し立てて、理想を追っている道場ということです。
それ故に、道場生にも徹底して、戒めていることがあります。
今まで、培ってきた修練を、無駄にしてはならないと話をするのです。
修練した鍛えた魂を、路傍のつまらない人に奪われてはいけないという事です。
愛情もない男女関係で、人の道を見失ってはならないのです。
特に成熟しようとしている道場生は、ハチャメチャな行動をしてはいけないのです。
精神性が高まってくると、誤った行動をした場合には、取り返しがつかなくなります。
結論として、道場生に対しては、成熟して男女関係に至るのであれば、結婚して家庭を持ちなさいという指導をするのです。
興味本位のセックスは、お互い傷つけるのです。
性は、決して恥ずべきものではなく、尊いことであり、神聖な事なのです。
それを家族の出発点にするべきであるとう事を主張するのです。
理由は、生命を宿すのもこの性の行為であり、夫婦の絆を築き上げるのも性なのです。
この行為によって、家族の営みが、他人として臨席した男女が絆を持つのです。
教職員が、教え子をセックスフレンドとしたというニュースも飛び込んできます。
公然と、男女関係を強いる師範が、逮捕されていました。
とんでもない事です。
家族を、確かなものにするには、誰も失えない存在ですから、守り抜く事です。
家族愛、それは素晴らしい事です。
それには、愛と性のモラルをしっかり守るという事が大前提になるのです。