2017年6月7日(八段語録3075)
第五章 極真空手と家族そして地域社会
極真空手と「家族」の繋がりをどのように求めいくのかです。
それはとりもなおさず、武道の神髄に求めるのです。
さらに、人の道を説くてのです。
実践空手ですから、生死の境で、人として極めようとすることに重点を置いているのです。
まさに、生きるか死ぬかというレベルに身を置きながら、生きるという光を見出すのです。
特に、極真の稽古は、生死の境で、自分自身に問う場面を見出すのです。
実に新しい自己への変身を遂げる努力になるわけです。
それゆえに、稽古は必要不可欠なのです。
何ゆえに、家族と結びつくかというならば、直結なのです。
この最小単位を維持し、発展させる為に、個人の修身を目指すためなのです。
個人が確立してこそ、家族が生きるという発想です。
それ故に、稽古をしっかり積むことは、大切な事になるのです。
自分自身を磨くことなくして、何ゆえに、良き家族など維持することが出来るかという事になります。
家族を築き、維持することは、生易しい事ではないのです。
あらゆる能力を必要とします。
肉体の強化も必要でしょう。
さらに、頭脳も明晰にしなければなりません。
さらに、清められた人格を維持することが、何よりも愛情の源泉になります。
さて、家族をメインにして、極真空手の修行は、一生続くのです。
学問も必要になります。
愛情あふれる人間性を確立するという事も忘れないのです。
技だけでは、人は感動しないのです。
人生に対して、極真空手は、一つの切り口で開拓できたのです。
狭き門でした。
まさに、「隙間からの開拓」のようなものでした。
それが、実ってきているのです。
誰も家族と極真を結び付けたことは無いのです。
それは、手塚会長の偉業なのです。
誰も、やったことのない取り組みでした。
その家族を極真で推し進めたのです。
私は感銘で迎えることが出来ました。
それが、手塚会長との絆なのです。
誰も、極真では主張していない家族思想でした。
今でも、一緒に歩んできたことに誇りを持っているのです。
人生を歩む最終的結論を、家族の充実に置いたのですから、刺激的でした。
ところで、このような発想が、地域社会と、青少年教育に結び付くのです。
十分に社会貢献の道となるのです。
また、理想を求めるのに最適なのです。
人間の心の流れが家族にあるからなのです。
それ故に、本格的に道場運営に専念するようになりました。
手塚会長と出会って、すぐに取りかかりました。
いつも、会長との電話は尽きないのです。
真心のこもった指導をして頂きいました。
師範として、出発した当時は、人数も少なかったのです。
それでも、あらゆる立場の先生方に協力を頂きました。
その、御恩に応える歩みが始まったのです。
どの先生も、私の道場を思うレベルが高かったのです。
自分の事のように思ってくれました。
ふり返っても、涙がでる思いになります。
指導を重ねて、弟子達も育ってくれました。
今では、弟子は師を越えているのです。
この極真空手を取り巻く環境が、もうすでに家族なのです。
そして、誰もが、地域社会に育っているのです。
実際に良き人材が育ったのです。
またこれからも、多くの人材を輩出するのです。
そのような、現象を見る時に、会長と歩んだ日々は懐かしく思うのです。
今日も、しっかりとした、家族を維持する道場生の群れです。
決して、いい加減な集まりになっていないのです。
これが、私の誇りであり、これからのやりがいという事になります。