2017年6月2日(八段語録3073)
第三章 地域貢献する「家族」の道場の設立

 道場設立の動機は、実にシンプルです。
それは、極真空手の普及と地域貢献なのです。
青少年教育を手掛けるので、最初、市民センターの体育館を使用しまた。
それも、仙台市にお願いして、減免の措置を取らせていただきました。
無一文で道場を立ち上げたのです。
小学校の息子・娘達の友達から誘いました。
最初は、月謝など頂こうとしませんでした。
それだけに、指導するにあたっては、手弁当という事でした。
月日が流れて、一年もしないうちに、人数が増えてたのです。
また、袋原内科の熊谷先生に、備品を準備して頂きました。
ミット・サンドバック・サポーターと揃えたのです。
いよいよ、道場設立という段階に入ったのです。
 百人の門下生が集うようになって、道場として自立したのです。
早速、中江地区にある倉庫を、改装しました。
クモの巣だらけで、床はコンクリート、壁は露出していました。
その倉庫を手作りで、内装をしたのです。
すべてが試行錯誤です。
出来上がるのに、三か月ほど、かかりました。
資金は、借金でした。
それだけに、月会費を頂き、運営するという事になりました。
そして、この道場から、極真空手で、社会に貢献する青少年の排出を夢見たのです。
最高の修練所にしようとしたのです。
当然、社会貢献の拠点として、最高の宮殿として、私の目に映ったのです。
ここから、どれだけ、大志を抱く青少年を輩出するかという事が願いになったのです。
 それも、切り口が学校法人ではなく、空手道場でした。
誰も着眼したことのない、戦略を立てたことになりました。
それだからといって、どこの教育現場よりも、勝るとも劣らない最高のレベルを夢見たのです。
道場で話す内容は、かつての北海道農学校のクラーク博士よりも、大きな夢を語ったのです。
私自身、道場を建設しようとして、積み上げてきた極真キャリアを有効に活用しました。
また、四十の手習いもしました。
教員免許の資格を取得し、経済学修士としての学位を治めたのです。
人を教育するには、自分が先頭に立って修身しなければという信念でした。
無一文の私が、できることは、人を頼らず率先して、夢を実現するという事でした。
極真空手は、手塚会長のおっしゃる「手段」ですから、武道という切り口を通じて、社会貢献できる人材を育てたいという信念です。
私が決意したのだから、必ず最高の人材が育つと確信したのでした。
2001年7月の設立から、大いなる夢を話していました。
それもそのはず、手塚会長が「夢食の会」会長で、私が副会長という事なのです。
「家族」というカテゴリーで、世界を一つにするという広大な夢でした。
その家族を治めていく人材が、社会に役立つ人材であると結論つけたのです。
 結局、理想を「家族」に置いたのです。
当たり前で平凡なのですが、家族という理念を掲げて、手塚会長と世界を駆け巡ったのでした。
誰もが当たり前と思う「家族」を、最高の夢にしたのです。
今の私とて、地上最強の家族の建設途上なのです。
それも、今も継続しているのです。
それを、道場設立の信念にしたのです。
今でも、一生懸命で、生命がけなのです。
当たり前の「家族」に生命をかけるという事の日々は、実に充実しているのです。
会長と共に、誰もマンネリ化して、新鮮に継続することが困難な「家族」に挑戦したのです。
それも、切り口が極真空手なのです。
修練の結論が「家族」であり、守り育むという事を、最高の理想としました。
それが、社会貢献であると思ったのです。
この理想は、実にシンプルであります。
しかし、家族を守るという事は、難しいものです。
心が伴わなければ、吹っ飛んでしまいます。
今でも、道場運営とは思っていません。
愛情あふれる「家族」を築き上げる人材を育成しようと思っているのです。