2017年5月21日(八段語録3072)
第二章 地域貢献する極真空手の姿勢
青少年教育の武道で試みは、日々繰り返しています。
それは、青少年のこれからの人生に大切であると考えるからです。
ゆえに、道場での稽古は真剣そのものになるのです。
決していい加減にできないのです。
武道教育が、いかに大切であるかという事を道場生に向かって指導するのです。
指導する者として、稽古を甘く見ないのです。
それは、指導者が生命がけに稽古に取り組むという事です
それ故、指導者として、稽古に対して、道場生に命がけで取り組むことを願う事になります。
当然、道場生も、必死に稽古に食らいついてきます。
内容はどうあれ、必死に打ち込むことが、稽古の基準になるわけです。
人としての人格を確立するには、稽古で追い込むという事が、大切になると考えるのです。
実に実際的なのです。
それが、極真空手です。
ただの思いつきではないのです。
特に、組手は、生死を乗り越えるような境地になるのです。
実に必死になります。
いつの間にか、道場生は、日々の稽古に対する自信と、臆病な心を越えていくという精神が鍛えられるのです。
そしていつのまにか、何事に対しても、命がけの精神を築くのです。
生命をかけていく道場生の姿勢を、問うようになるのです。
特に組手は、対戦するわけですから、自分の攻撃をしますが、攻撃も受けるのです。
その時に、つらい顔は出来ないのです。
組手を通じて、冒険の道が開かれると考えるのです。
ところで、相手に立ち向かう時、体力尽きても倒れないという精神を養うわけです。
相手がどうのこうのという事ではないのです。
襲いかかる相手が問題ではないのです。
どんな状態の時でも、気持ちにおいて、負けることない、堂々たる気迫を持つわけです。
理由は、極真空手の精神は、汚れないからです。
それだけに、誇り高い精神を築き上げることができるというものです。
その伝統を受け継げる立場の道場生は、素晴らしいポジションであるのです。
自分自身の弱さを切り裂き、光り輝くような道を歩めるというものです。
それが、極真空手を実践する人格として、羽ばたけるのです。
このような、歴史的伝統受け継いでいるという事に信頼を置くべきです。
それだけに、道場生一人一人が、地域に良きインパクトを与えることができるというものです。
私の決意は、地域貢献できる青少年を育成することなのです。
人という存在は、必死になることによって、はじめて自分を発見するのです。
道場での稽古は、このような必死さを道場生に要求するわけです。
それ故に、指導は絶えず指導者の精神が燃えていることが前提になるのです。
ゆえに、気持ちは、たとえ足が折れたとしても、目玉が飛び出したとしても前進するのです。
死ななければ、勝てるという気持ちになるわけです。
今も必死に、人生という戦場で戦うのです。
この姿勢が地域に貢献できると信じているのです。