2017年5月6日(八段語録3060)
グループの調和

 社会生活をしていくうえで、人間関係が、最大限重要な役割を持っています。
その人間関係で、最も根本的なものは、自分自身の在り方です。
人は、他人の変化を期待します。相手に要求するわけです。
色々な人と出会うのですが、多くの人は、相手が変わってくれることを望みます。
しかし、相手に変化を求める考え方は、挫折と葛藤がつきものです。
相手は、変わらないだけでなく、自分に刃を向けてきます。
問題があるたびに、指導する方の、失敗と欠点のせいにします。
結局、自分自身の役割を、考えようとしないのです。
他人を変えようとすることは、実に難しい事です。変えることは、無理なのです。
というのも、相手は、自由意思を持った個人なのです。
相手に変化を求めることは、一番非効率なことだと悟るに至ったのです。
それも、相手の心は、「防御や攻撃」という姿勢に変わることが多いのです。
決して調和などしないのです。
 さて、私のグループの運営の方針は、相手を尊重するという姿勢です。
その人を、最大限大切にするという事です。
欠点も指摘しません。
ただ、法に触れることをしなければ、許される範囲であると思っているのです。
確かに、私自身、若い時には、人を変えようと苦言を呈したこともありました。
結果、変化を誘導する説教は、戦艦が撃沈されてしまうのと同じでした。
結局、環境は、戦時下に置かれた立場に立ったのです。つまり臨戦態勢という事です。
それで、グループの運営で、意識することは、グループの安定的運営という事です。
結局、人に変化を誘導するよりも、自らの心の変化を、重要視するのです。
この作業は、難しいのですが、グループの運営では、いつも行ってきました。
私が、願われることを、最大限努力するのです。
そのような姿勢は、決して、相手から反感を受けることはないのです。
 ところで、グループの運営の中核は、現場の道場なのです。
その課題を、現場の師範から聞いて、どのようにしたらいいのかを暗中模索するのです。
もちろん、回答が出ない日々もあります。
それでも、自分を相手の立場に立たせて、思いやったという心だけは残すのです。
このような姿勢は、修行時代に学びました。
そのための、自己修練という気持ちが強かったのです。
優秀な人程、極真をやめていきました。
まして、反旗を翻して、道場を立ち上げた輩もおりました。
自分自身を変えるという事は、並大抵ではないのです。
その修行を、自己修行で続けてきたのです。
そして、いつの間にか、私の習慣になっているのです。
実質的に自分を変化させる訓練は、苦労が伴います。
私自身、グループを率いる者として、健全な人間関係を形成するという事に。力点を置きます。
正しい精神態度を身に着けるという事を重要視するのです。
その姿勢を、維持して戦っていくという事が、道場での私の修行という事です。
このグループの先頭に立つという事は、自分自身の心を、相手に調和させるという事です。
私に従えという事は、一切言いません。
このグループの打ち立てた、会長の願いに立つだけです。
このグループの人間関係の原点は、会長が打ち立てた理念であります。
その理念に従うのが、私の姿勢という事です。
そして、その理念に一番近づかなければならないのは、相手ではなく、自分であるという自覚です。
そのような、日々を厳しい目で、見つめていこうと思うのです。
他人の厳しい目は、気になりませんが、自分の厳しい目は、戒律なのです。
そんな覚悟で、円満なグループを築いていきたいと思うのでした。