2017年5月2日(八段語録3058)
心の四肢五体

 新緑の季節になりました。
空の青さと、白い雲、そこに若葉が、まばゆいのです。
日差が優しく降り注ぎます。
自然と共に、畑の中にある、極真司令塔も充実してきました。
街中の、宮城県本部の二階にある師範室は、更生保護のサポートセンターにする計画です。
もちろん、時間外は、私用でも活用しようと思っています。
がむしゃらに闘った日々を、反省して、自然と共にという生き方です。
いつも、手塚会長の願いの思いが、錯綜します。
それが、原点になるのです。
手塚会長から、このグループを継承してから、三か月目を迎えようとしています。
心は、会長と共に歩んだ、個人から世界まで去来します。
そして、修行は、これからも続くという事です。
司令塔を、里山に囲まれた畑にある別荘において、日々極真空手の理想を考えるです。
 さて、極真精神で、青春時代は、「肉体の四肢五体」を磨いてきました。
三十四歳で、全日本大会を最後にして、現役を引退したのです。
大阪で指導をしていましたが、何かを見つけようと、悶々とした時期を過ごしました。
そして、四十歳で、大学に通って学問を始めたのでした。
それは、「頭脳の四肢五体」を鍛えようとしたのです。
結局、八年の間、学問に没頭しました。
「頭脳の四肢五体」の成長を試みたわけです。
経済学を専攻しましたので、世の中の仕組みを理解することが出来たという事です。
知性を磨いて、世間に対しての目が開けたことは事実です。
また、どのように世間に対して対応したらよいかという事も検討できました。
そこから、自分なりの理念を固め、渉外をするようになり、経済力も、兼ね備えようとしたのです。
そのような努力の末、あらたなる挑戦をしなければという気持ちになるのです。
 それが、最終段階として、「心の四肢五体」を完成させようと思うようになっているのです。
肉体と知性の四肢五体の成長の望みが、停滞しているという事でしょう。
「心の四肢五体」に対しては、チャレンジャーという事です。
可能性があるという判断なのです。
それも、このグループを引きいる責任者として相応しいという事です。
肉体と知性の成長に限界を感じているからという事も事実です。
それでも、成長することに貪欲なのです。
新しい、心の世界の開拓がこれからという事です。
鑑真和尚は、目が見えなかった聞きます。
それでも、仏法の伝来をもたらし、数々の偉業を成しとげているのです。
私の肉体は、まだ終焉を迎えていないんです。
それだけに、「心の四肢五体の完成」が、これからの目標という事です。
 結論として、人生を、「肉体の四肢五体の完成」「頭脳の四肢五体の完成」最後に、「心の四肢五体の完成」を目指すという事です。
その拠点が、自然に囲まれた仙台の郊外にある指令塔という事です。
この場所で、心を綺麗にすることを心掛けるのです。
そのように心を清めて、心の五体を視覚化するのです。
愛情に満ちた、温かい人格を目指すわけです。
自分の心の形を作っていく訳です。
もちろん、不完全極まりない姿が、色々な人間関係で表現されます。
その状態を、高めて、誰からどのように見られようが、しっかりとした五体を完成するのです。
そこに、不思議に明るい光り輝く、心の「四肢五体」が表現できるのではないかという事です。
まだまだ、未熟な事は、分かり切っています。
それだからこそ、日々の挑戦があるというものです。