2017年4月23日(八段語録3053)
振り返れば昔の友人

 北海道札幌に滞在三日目になりました。
武道家と面談し、札幌を中心に道場を広げていくことができるかという事の検討でした。
彼は、今年の三月、柔道整復師の国家資格を取得し、治療院と道場の両立を考えていました。
精悍な顔立ちのしっかりとした人格者に映りました。
また、かつて、修行時代の友人達と四十年ぶりの語らいの場を持ちました。
全員が昔は、二十代でしたが、写真に納まれば、六十代の初老クラブという事でした。
それでも話は、若き日の思い出に、飛んでいくのです。
私が、与えた言葉の傷跡も、この場で修復です。謝ることが多くありました。
二日に及んだ、友人との語らいの場は、午前四時を回るのです。
一人の人生の証が、何時間にも及ぶのです。
数奇な人生を語る人もいれば、幸せな人生を語る人もいます。
満たされた時間が、静かに過ぎていくのです。
 さて、三日に及んだ札幌での出会いは、同窓会という事なのです。
振り返れば、その時、私は大将なのです。
基本的に仕切屋なのです。
同じ志を抱く仲間を、叱咤激励したいたのです。
その時の、私の口調は、激しいものだったようです。
鋭角的であり、裁きにも匹敵する言葉が、口癖のようであったという証言です。
本気で、自らの厳しく、修練に取り組んでいた姿が、印象的のようでした。
それも真剣勝負という事のようでした。
私に対しては、今は人格も丸くなったという評価を頂きました。
しかし、他の友人達の姿を見ると、昔と変わらないのです。
ちょっとふっくりしたような姿だけが、印象に残ったのです。
しかも、幸せな時間を過ごさせていただいたという、感謝の気持ちが沸き上がったのです。
 ところで、そのような絆を、今四十年目にして持てるのも、信頼という関係でした。
心の平安と心身の訓練をしてきたメンバーばかりです。
日常生活の環境から離れた関係でした。
修練と伝統が充満した仲間達だったのです。
日常生活から離れた伝統を立てていましたので、信頼関係は密でした。
そうであればこそ、今も集まることができるというものです。
それも、夜通し話し続けることのできる仲間という事です。
昔を思って、振り返っても、何ら違和感のない関係が広がっていました。
今まで、人生で味わってきた、不安、ストレス、葛藤も話しました。
私の話にも、良く聞き入ってくれました。
もうこの関係は、先輩後輩など無くなっていました。
これから、会う事が出来るのかも分かりませんから、話は夜通し続くのです。
 身体の訓練と心の平安は、まだまだ続きます。
さらなる飛躍の為の、会話になりました。
自らを極めんとする修行に、新たに出発です。
年齢が障害になるわけではないのです。
その雰囲気を醸し出す同窓会でした。
そして、お互いに再会を誓うのです。
いかなる旅路が、これから待ち受けているか分かりません。
それも承知の上で、お互い別れたのでした。
そのような幸せなひと時が、ありました。
まだ、札幌では桜は咲いていないのです。
それでも、心に桜の花が満開になっていたのです。
再び、フェリーで苫小牧から帰っていこうとするのでした。