2017年4月21日(八段語録3052)
かつての修行
仙台から、フェリーで北海道に渡りました。
昨日の春の嵐とは、違って穏やかです。
太平洋の波も穏やかで、寝台列車よりも揺れないのです。
落ち着いた移動にはちょうど心地が良いのです。
車、新幹線、そして飛行機と、スピーディーに移動していました。
このようなフェリーでの緩やかな移動もありがたいものです。
太平洋の真ん中で、朝日を眺めるのです。
ゆったりとした時間を過ごすのも、ここ数年無かったことでした。
いよいよ、北海道の苫小牧に近づきます。
四十数年前の思い出が蘇ります。
この北海道で、空手修行をしてきました。
実に八年の歳月を費やしたのでした。
さて、その修行してきた仲間とも会うのです。
四十年という歳月は、お互いどのようになっているのか楽しみです。
民宿を用意してくれるという事です。
昔話に花が咲くと思うのです。
当時は、修行の日々と、理想に向かって燃えていました。
青春の情熱が、心を燃やしていました。
とてつもない、大きな夢がありました。
そのための日々が、難行苦行の修練という位置づけでした。
そのような意味では、北海道が私の原点になっているのです。
良き指導者に恵まれました。
原理原則、しっかりと指導を頂きました。
責任者にも取り立ててくださって、活躍の場を二十代前半で与えてくださったのです。
ところで、精神的訓練をあらゆる場で行いました。
北海道大学の周りをランニングしました。
また、足離別の滝に打たれ、石狩平野での寒稽古もしました。
人に厳しくというよりは、自分に厳しい歩みをしていました。
ただ強くなるというよりは、精神訓練を重視した時でした。
「人を殺してはけない」という言葉を、精神的にも具体的にも、罪としたのです。
それだけに、決して人の悪口は言わないのです。しかし、善悪に対しては、厳しく対応するのです。
悪なる罠にはまらないようにという心の持ち方でした。
また、若いという事で、性的な欲求が道を間違えるという事も自覚したものです。
それゆえに、「姦淫してはいけない」という十戒の戒律も取り入れました。
基本的道徳観を踏襲して、人として真面になろうとしたのです。
学問はしていませんでしたが、高い道徳観だけは、身に着けるようにしたのです。
この北海道は、私の修行の場という事です。そこに再びフェリーで上陸です。
人生という戦場で、試練と敗北、さまざまありました。
その中で、いかなる恐れに対しても、勝ち抜く勇気と情熱を学んだのです。
言い換えれば、臆病を克服して、自信と勇気、大胆さにあふれる魂を育てたのです。
極真の精神で、どんな状況にも適応できる姿勢を身に着けようとしたのです。
予想できない環境でも、常に勝利することができる道の開拓でした。
これが、究極の心身統一の本質になりました。
大会での、息詰まる緊張感、心の葛藤、それが、正しい精神に誘発されたのです。
不安を具体的に試合で体験したのです。
心の葛藤、肉体の限界、それが、自分自身を育てたのです。
しかし、それが、個人として終了するのではなく、道場の教育内容になったのです。
それが、手塚会長と連結されてきた歩みが、尊いと思うのでした。