2017年4月17日(八段語録3048)
常に初心
手塚グループを任されて、四十日経ちました。
何に心がけているかというならば、初心に帰って、このグループを率いるという事です。
最前線を各県本部と位置付けて、発展を願うのです。
会長が亡くなられてから、百日が過ぎました。
だから、なおさら、会長の願いに立つという事に力点を置くのです。
日々が、新しい日であります。
新しい出発をするという事です。
それでも、忘れることができないのは、会長との心安らぐ対話の時間でした。
ここに原点を置いて、今日も出発なのです。
その原点が、力の源泉であり、今日一日のかけがえのない栄養素になっているのです。
この期間、私の中には、思い出の奴隷になって、歩めない時もありました。
会長と築いてきたのは、素晴らしい家族の形成なのです。
グループの質を高め、世界に広めていくという事です。
さて、この期間、会長が願われるように指導できているかというならば、甚だ疑問です。
というのも、道場生が、児童から少年、そして、思春期を迎えようとするのです。
適切な指導ができないので、退会していく道場生も出てきました。
道場の空気が淀んでいたのです。
一人一人を、愛情をもって、指導することに、忘却地帯があったという事です。
また、選手会では、父兄が勝手に個人名で、大会出場もしていました。
それも、道場に対する不満爆発のメールで攻撃です。
私としては、じっと忍耐する以外にないのです。
道場の方針は、家族であり、対話を重視して、自然を大切にするという事です。
その姿勢は、崩せないのです。
その姿勢は、一人の人格者として、心身を収めることができるという事です。
そして、決して人を傷つけない事です。
家族を守るという事です。
このことが、可能になって、黒帯になる資格があるという事です。
大会で優勝するだけにモンスターを作るつもりは全くないのです。
ところで、私は、極真空手の強さだけの奴隷にはしたくはないのです。
大会で優勝することも、大切です。
それ以上に、心身を錬磨し謙譲の美徳を目指すべきです。
就活としての、黒帯の資格は与えるつもりはありません。
人生を人間性の形成に懸けてほしいものです。
一般社会で認められるのは、人間性と仕事に対するスキルです。
道場の指導者は、その闘いに勝ち残った人たちばかりです。
そして、道場の指導者は輝いているのです。
その指導者がブランドとしての、極真モデルなのです。
その頂点に私がいるという覚悟なのです。
ほかの他流派の人が、黒帯を締めようが関係のない事です。
すべては、道場内での評価です。
私が納得しなければ、決して有段者にはなれません。
別にゴマを擦って貰っても困ります。
レベルは、高いのです。
道場生は、いつも新鮮に、先輩を見習っていきましょう。
学びのレベルは、高く無限に広がっているはずです。
大会での誘惑は死の罠に陥ります。
利己的自我を啓発してしまいます。
決して、元には戻れなくなってしまいます。
利己的自我に向かうと、このグループが足らないように見えるのです。
そして、他と比較することだけが身に付きます。
仲間意識が崩れ、信頼関係が崩れてしまうのです。
その後の行先は、不安の執着駅という事です。
相手と自分に憎しみと傷を与えるようになるのです。
重要なことは、喜んで初心になるという事です。
その意思が、新鮮さと開放感をもたらすのです。
そして新しい瞬間を迎えるのです。
それが、新しい稽古という修練になるのです。