2017年4月11日(八段語録3044)
我が息子の成長

現在息子の聖義は、中川接骨院での修行と、極真空手の指導をしています。
国際結婚とう、私の時代とは違って、紆余曲折を経て、嫁のアメリカ人の茂奈を大切にしているのです。
孫の士紀雅、そして、嫁には、7月末にも生まれるであろう子供が宿っているのです。
今年で二十八歳になる聖義です。
空手歴25年ということです。
彼の人生は、実に恵まれているようです。
茂奈とは、ニューヨークで十九歳の時に出会ったのです。
導かれて十七歳のを茂奈と一年もしないうちに、森家に嫁いできたのです。
息子が、成人になるとすぐに、家庭を持ったのです。
私と比較すると実に早いということです。
三十四歳で結婚した私と比べるならば、十四年も早く家庭生活に入ったということです。
それなりに大変なことのようにも思います。
私の場合、人格を練り上げてからの夫婦でしたから、それなりに余裕はありました。
しかし、息子の場合、日々若くして、夫婦で真剣勝負ということでしょう。
今は、二世帯住宅の二階に住まいを陣取って、一生懸命に家庭を築いているという様子を伺うことができます。
さて、手塚会長が亡くなって、三ヶ月が過ぎました。
地上における人生の短さを感じてしまいます。
そして、会長の死を通じて、世代が間違いなく交代していくということです。
会長が初代として、大山総裁の意思を汲みながら、一生懸命歩んでくださいました。
これから、私は、二代目会長がとして歩わけです。
それなりの決意は必要です。
今まで、様々な準備をしてきました。
それでも、ゴルゴダの苦しい坂は残っているのです。
その坂を踏み越えて、いくということです。
息子は、間違いなく、私の後ろ姿を見ているのです。
反面教師ということでもいいのでしょう。
それよりも、父の理想モデルとして、息子に示していけるのであったらと思うです。
人生を振り返るまでもなく、朝露のような日々であったということです。
青春時代の坂を駆け上がって、ここまで歩んできました。
登り切ってはいない人生の坂を、これからも必死に食らいついていくということです。
泥臭い生き方が、私には合っているようです。
もちろん、家族の中で、息子が、倒れることもあるということもあるでしょう。
それでも、父は倒れてはいけないという信念を持っているのです。
順風万風というわけには、人生は行くわけはないのです。
四苦八苦ということでしょう。
今まで、欠かすことなく、家族の事を意識して、人生を歩んできました。
人が共同する団体に所属しながらも、調和を図りました。
また、痛烈な批判をしながら、より理想の姿を追求するという、強硬手段を取ってきたのです。今でも安易には生きないのです。
子供達が通う学校教育に対しても、関心を持ち続けて、意に沿わない場合は、痛烈に批判したものです。
息子が、柔道整復師登り専門学校に通って、挫折でもしようものなら、私が入学したのです。
どのような教育を受け散るのかということも知るためにも、息子と同じ学校に入学したものです。
そのような意味では、関心度は半端ではなかったのです。
極真会館に対しては、真剣でした。
全身全霊で道場生にぶつかりました。
当然、息子にも、虐待と言われるぐらいまで、刺激しました。
成人してからは、決して、上から親としての指導はピタッととまりました。
それでも、関心は、生半可ではなかったように記憶しているのです。
支部として独立して、十八年の歳月は過ぎてしまいました。
これからは、極真会館手塚グループを背負って行くという重責を負うのです。
息子にも、親が行くと十字架の道を意識してほしいとおもうです。
そのことは、息子には、直接話さないのです。
本人の自覚が生まれ、自主的にサポートができて、本物であると思っているわけです。
それでも、一緒に暮らしているので、息子の成長著しい姿を、日々眺めているのです。
私としては、かけないのない息子なのです。
できるかけ、手本を見せながら、我が子の成長を見届けて行く責任があると思うわけです。
それが、責任ある生き方ということと思うのです。