2017年3月31日(八段語録3037)
これから指導者が持つプライド

実際に会長と共に歩んだのが、1996年12月からでした。。
もうすでに、二十一年の歳月が過ぎてしまったということです。
会長から学んだ事は、この長い期間ですから、多岐に渡ります。
それも、全て、愛情と、生命が息づく内容ばかりです。
道場の基礎理念は、会長の主張である家族を中心にまとめてきました。
その思想を中心に道場を運営してきました。
私の誇りは、いまでも、手塚グループが家族であるという事です。
誰が強くても、誰が優勝しても、頑張っている姿を、家族全体で喜ぶのです。
もちろん、弱くても、ヘタッピでも、構わないのです。
日々目標ができて、一日を目標に向けて、全力投入できるという事です。
一緒に付いてきた道場生が、ハッピーに爽やかな人生を、送ってもらう為に、開設されたのです。決して、過酷な状態に追い込む為に切り開いた道ではないのです。
また、会長が裕福な生活を送る為に開設したのでもないのです。
ヨーロッパ・ロシア・アメリカに行くにしても、エコノミークラスで移動するのです。
質素倹約を大切にする会長がでもあったのです。
さて、会長と共に歩んだ私達は、一人の道場生として、家族に歓迎されるような人間性を築く為なのです。
その為に、この道場で稽古をしてきたのです。
モンスターになるためでもなく、俗に言うヤンキーを目指したのでもないのです。
そのような姿勢が、結果的に、世間から歓迎されるようになったということです。
還暦を過ぎても、この道に対する確信を持っているのです。
今もなお、ひたすら歩み続けているのです。
それは、手塚グループは、間違い無いという信念からなのです。
修行時代は、ひたすら大山総裁を目指して、修行に励んできました。
選手時代が終わると、指導者としての道を歩み続けました。
決して、お金にはならない事です。
それでも、心は、十二分に満たされたのです。
そして、指導者になって、出会ったのが、手塚会長であったのです。
会長と出会って、決して寂しくはなかったのです。
どんな時にも、会長は、そばに居てくれました。
携帯での電話は、毎日に及んだのです。
それは、楽しい時間でした。
心も解放され、爽やかな日々を送れたのです。
ところが、会長が亡くなって寂しさが湧き上がって仕方がありませんでした。
それでも、二ヶ月も過ぎてみて、一人ではないことに気付かされるのです。
会長と共に歩んだ師範達がいるのです。
また、全国と世界に道場生が広がっているのです。
会長と世界中を巡回し、多くの道場生と共に、極真の精神を分かち合ったのです。
世界中の指導者に達は、極真精神と、家族を大切にするということを学んでくれたのです。
このグループで歩む事は、今になっても、最高のプライドになっているのです。
会長が亡くなったとしても、このグループは、私達の誇りなのです。
たとえ、僅かばかりしか努力しなくても、世界に向かう道に連結されているのです。
稽古を熱心にして、感じる私達の感性は、しっかり五感に記憶されるのです。
稽古は、ただストレスを発散させるだけのためではないのです。
稽古を一生懸命するという事は、どこかの会社に努めて、仕事をするということとは全く違うのです。
奇しくも、会長はこの世を去ったのです。
それだからといって、極真の歩みを止める事はないのです。
極真空手で、家族の思想を拡散させるのです。
版図を世界に広げて、私達が、手塚グループの伝統を継承して、最大の誇りとするのです。
もうこれから、会長が、あの世に旅立ったとしても、この極真空手と家族であるという伝統を消すことができないのです。
そのような信念を持って、取り組もうとする一日をでした。
もちろん、愛情を先だてなければならないのですが、今日は、手塚グループの誇りが、私の心を支配したのでした。