2017年3月26日(八段語録3035)
師手塚会長の武勇伝

手塚会長は、自称クリスチャンであります。
私が会長と共に歩んで、一度も私と極真会館を歩んで、教会に通ったという事は聞いた事はないのです。
何故クリスチャンになったかということを、最近、奥様の文子婦人から聞きました。
会長が駒澤大学の学生時代に恋愛した対象者が、文子婦人だったのです。
その文子さんは、東京で教会に通っていたそうです。
そのような意味では、奥様は正真正銘です。
会長は文子さんに恋心を抱いて、文子さんの通っている教会に通い始めたのです。
文子婦人の心を掴む為に、教会に通い始めて、洗礼まで受けたということです。
決して、信仰とではなく、恋愛のということした。
文子婦人に近づきたかったからという事が、奥様の話で判明したのでした。
要するに、文子さんと結婚したかったから教会に通ったという事でした。
そして、学生時代に終止符を打って、名古屋の会社の入社式に、その入社式に参加せずに、結婚式をしたというのでした。
愛の武勇伝です。
さて、手塚会長は古参支部長として、極真会館ではあまりにも有名なのです。
会長は、決して、長い物に巻かれるという迎合主義はとらないのです。
頑固といえば頑固となのです。
そして、その頑固を最後まで貫くのです。
とにかく、会長の信念と違っているならば、自分が作った団体も蹴散らして、一人で開拓の道を進むのです。
それも、道なき道を突き進んで行くという事です。
そして、その信念は、家族を愛し、対話を欠かさず、大自然を愛するという姿勢なのです。
この姿勢は、一貫して変わらないのです。
そのような意味では、家族の愛情の配達人なのです。
いつも口癖にいう言葉は、「空手は手段であって、目的は、家族であって、愛情を伝えること」であるというのです。
会長は、人の話を愛情をもって聞き続けて下さいます。
私ごとですが、半日も、電話で会話をした事が、頻繁であったのです。
そして、私という存在そのものを愛しく思ってくれたのでした。
ところで、手塚会長は、極真会館をベースに、多くの人に家族の大切さを伝えたのでした。
この姿勢で極真会館を運営でした師範は、手塚会長だけなのです。
このような姿勢は、誰にも真似ができないのです。
その姿勢を国内だけでなく、世界中に届けてきたのです。
つまり、家族という愛情の伝道者という事です。
それに誰もが共感して、手塚グループを形成してきたのでした。
会長の姿勢が、この団体を形成してきたのです。
この観点の記述は、不可思議に思うかもしれません。
それでも、それが手塚グループの特徴なのです。
強さとか技とか精神を、他の空手家として話しているのは、よく聞くのです。
家族という愛情の伝道者は、極真会館と言えども、実に変わっているという事です。
しかし、その変わっている会長に付き従ってきた多くの弟子がいるのです。
人としての本質を指導してくださったのです。
それが、心に刻まれているのです。
それ故に、会長代行として、この精神を中心に推し進めて行く覚悟なのです。
会長は、愛情をもって、文子婦人に恋をして、恋愛の延長で結婚し、お子様にも恵まれました。
また慕う弟子達に囲まれて、人生を終えたのでした。
素晴らしい、人生を過ごしたという事です。
文子婦人から、色々と話を聞くと、サラリーマンには向いていないという事でした。
それが、この極真会館という武道を通じて、花開いた人生を歩んだと思うのです。
道場生の前で、会長の姿は、輝いていました。
もちろん、地上の生活を終えても、心の中に、息づいているのです。
そして、これからも、会長の願いに立って、生きようと決心しているのです。
これからも、このような観点で、手塚会長は、語り継がれていくという思いがするのです。