2017年3月20日(八段語録3031)
思い出
手塚会長の一環とした対話姿勢は、親心でした。
かつて道場を離れていった人に対しても、いつかは戻ってくるという事を口癖に話してくれました。
自分の要望とか野心とかというよりは、親としての心ということでした。
それに惹かれて、親父の真似をするように、私は、会長の真似をしようとしてきた歩みでした。
ですから、私に接する会長は、友達のような指導はしていなかったのでした。
絶えず、会話は親と話しているような感覚でした。
それは、敢えて、強い説教をして下さったり、時には、家庭の事情を細かく聞いて下さって、良きアドバイスをしてくれたのでした。
よく電話で会話をしました。
何時間も話し続けたことも数多くあるのです。
会長にとって、これでもう十分だとということはなかったのです。
もっと話を聞いて、適切な指導をしたいという心だけが伝わってきました。
それだけに、道場のこと、家族のこと、最近起きた私の事件など、話は尽きなかったのです。
振り返ると、実の子供のようでした。そして、私に活力を与えてくれたのです。
さて、電話をする時は、思い立ったらすぐということもあって、夕食の時間でも御構い無しに電話をかけてしまっていました。
それでも、会長はお腹が空いて、疲れ切っているにもかかわらず、いい加減には決して扱わないのです。
食事の食べた後の残りカスのような、扱いは決してしないのです。
いつも、忙しいのにもかかわらず、新鮮な言葉を投げかけて、対応してくれるのです。
振り返ると、くだらないことも、結構相談していました。
それでも、話を親身になって聞き続けて聴き続けてくださるのです。
大きな心、広い心だけを、私に与えてくれました。
もう会長と私の根本は、責任者という感覚ではなく、親子であるという感覚でした。
それが、手塚グループの発展に対する会長と私の関係だったのです。
言いたい事を、今考えてみても、本当に話していました。
私は、会長が江戸っ子気質で短腹であると欠点を突くのです。
そうすると、優柔不断な私の事を痛烈に批判してくるのです。
そのやり取りが、お互い愉快で仕方がなかったのです。
日本を巡回しても、海外に行っても、親という姿勢は、決して変わらないのです。
平気でアラン師範と喧嘩もします。
譲らないところは、一歩たりとも譲らないのです。
アラン師範の呆れて、それでも、付き従って行った姿を何度も見てきているのです。
餃子の料理でアラン師範とのきっかけの話をよくしてくれます。
親となって、家族であるという信念から、尽くすのです。
それもアラン師範に対しても、私に対しても親という姿勢は、決して崩さないのです。
それだけに、頼りになったし、懐のど真ん中に入って行くことができたのです。
この二十年間、電話でどれだけの会話をしたのでしょうか。
もう計り知れないくらいの会話をし続けてきました。
その結果を私は、ブログで書き続けてきたのです。
もう三千回のブログ数までになってしまいました。
もちろん、文章ですから、要点だけです。
その何百倍の話をし続けてきたのです。
そのような意味では、夢食の会友の会の会員ということでした。
会長から、会長が与えたいという全てを、貰いました。
これから、返そうとする矢先に、なくなるのですから、心は張り裂けそうになってしまいました。指導を受けたい時には、いつでも受けることができたのです。
それが、これから、受けることができないのです。
幸せな会長の顔も観ることができないし、声も聞くことも出来ないのです。
グループでは私が一番孝行息子であると自負してきたのですが、それも出来ないのです。
そのような意味では、再び親父を失ったのです。
六年前に、実の父を震災で失いました。
今度は、育ての親を失うのです。
時の流れとはいえ、止まって欲しいと思うも、偽らざる得ない私の気持ちということでしょう。羅針盤を失った船のように、彷徨うかもしれません。それでも、前へ行けというのが、会長の口癖なのです。
「飽きず、焦らず諦めず」というのが会長の口癖でした。
そんな心で、今日は過ごしてしまいました。
道場に指導者が疲れきっていい加減に教えてもいけないと思うのです。
ちょうどそ れは、食事で食べ残った残りカスを与えるようなものなのです。
食べた後の残りカス を与えるようなものであれば、食べた後に気分が悪くてもどしてしまうのです。
残りカスを上げ続けると、指導を受けた道場生が後から批判をするようになるのです。
だから指導をするときの心構えが大切だというのです。
幸せな指導者は、「与えたい全てを与えることができ、受けたいとき受けるすべての事を受けることができる人」を言うのだと思います。
逆に、不幸な指導者は与えようとしても与えることができず 、受けようとしても受けることができない人だとおもいます。