2017年3月10日(八段語録3024)
会長逝去六日目東京スカイツリー
八潮の東横インホテルを車で出て、東京に向かいました。
国際空手道極真会館池袋総本部に出かけようと思ったのです。
青春時代の思い出が詰まった神聖な道場なのです。
かつて、稽古をしていた場所を、訪れたかったという事です。
若き高校時代、仙台から、何度も普通列車に乗って、上野駅まで出かけました。
夢を見ながら、乗車して東京に向かったものです。
当時は、十二時間かけて、上野駅に着くのです。
中高生と、柔道で講道館を目指したのです。
若気の至でしょう。
いや青春のロマンかもしれません、
学力もないくせに、早稲田大学に入学する事を念頭に置いたのでした。
偏差値が満たないので、受験参考書を片手に決意したのです。
模擬試験を受けて、挫折して、また仙台に戻って、勉強したものです。。
「理想は高く天を突き、現実は大地にのめり込む」という状況でした。
人生は思うようにはいかないものです。
結局は、高校を卒業して、大学に入学する事なく、上京するということになったのです。
それも、講道館での稽古は、自分のレベルより高かったのです。思い知らされました。
それで、横道に逸れるように、極真会館総本部の門を叩いたのです。
それが、この年齢になっても、鮮明に残っているのです。
願いと現実が突きつけられたのです。
青春は、実に挫折の連続のように感じたのです。
さて、青春の挫折の思い出はともかく、車は、東京に向かうのです。
八潮から、環七通りを南に向かう途中、東京スカイツリーが大きく見えるのです。
これから会長の意思を受け継いていくためにという気持ちが強くなります。
どのようにすべきかということが、少しずつ纏まっては消えするのです。
それで、会長に報告するような気持ちで、東京スカイツリーに登ったのでした。
都心の眺めが、三百六十度、東京都心が眼下に広がります。
展望の周りは、家族連れやアベックが多いのです。
わたし一人は、会長と一緒という心境です。。
340メートルまで、登って、一周してました。
さらに、450メートルまで登りつめて、全体を眺めたのです。
そうすると、不思議に会長と共に抱いた夢と理想が浮かぶのです。
建物の中で、一番天に近い東京スカイツリーで、会長と会話をしているようにも思えるのです。景色は、雲ひとつない冬晴れの光が眩しい景色でした。
そして思うことは、会長はもうこの世にはいないのです。
それでも、私の心の中に、確かに生きているいるという実感を抱くのです。
私の心の中で、会長と会話しているのです。
これから成すべきことを、会長と会話をして、着実に推し進めて生きたいという思いになるのです。
ところで、話は変わりますが、学生時代の事を思い出すのです。
下駄履きと番柄学生服での学校通いでした。
学校に着くなり、稽古をして、柔道場で雑魚寝状態で寝そべってしまうのです。
その後、おもむろに授業に参加するわけです。
そして、昼休みのトレーニング、放課後から本格的に柔道に打ち込んだのです。
それから、真面目に、家に帰って、夜からは、受験勉強に打ち込んでいました。
文武両道を貫くという生活をしていたのです。
今振り返ってみると、このような、生き方を良しとしていたのです。
それが、手塚会長と出会うという運命の道に至ったということだと思えるのです。
一つの大きな川の流れで例えるとするならば、私の学生時代は、支流の流れの様なものでした。あっちこっちにぶつかり、多くの経験をしながら、谷間の山あいを降りていくのです。
徐々に本流に向かって、進んできたということです。
その本流が結果的に、極真空手であったのです。
そこから、太平洋に注ぎ込むような出口に待ち構えてくださったのが、手塚会長であったのです。そして、太平洋を海流する黒潮のように、会長と共に二十数年の旅をしてきたということなのです。
そして今、青春の時と同じように、会長と共に歩んだ人生は、鮮明に光を放っているのです。
全く変わっていない自分を発見するのです。
六十三歳になる私は、ブログを書きながら、極真空手の指導をしているのです。
気力と体力が衰えてとしても、文武両道をを続けている姿勢があるのです。
青春時代に、抱いた夢が、挫折を繰り返してきたのです。
それでも、練られて、会長と共に歩むという道へ押し出してくれたのです。
学問と武道に邁進し、酒とタバコそして、男女関係には縁がなかった生き方でした。
会長と一緒の発想でした。
そして、共に生きる事を許されたのです。
夢を理想を追求する長い歩みが、会長と共にあったのです。
類は類を呼ぶということがあります。
会長との相性は完全に一致したのです。
最高の師を頂いたということになったのです。
不思議に会長に似ているのかもしれません。
真面目な充実した武道人生を送らせていただいたのです。
そして、これからも、会長と、極真会館手塚グループと共に歩むのです。