2012年6月3日(八段語録1702)
地域活動の拠点
宮城野区を中心に、保護司会、社明、社会福祉協議会、覚せい剤防止指導、消防、少年警察指導員、様々な地域活動の中心者になりつつあるのです。
その意味では、拠点をコミュニテーセンターや、市民センター、集会所に置いていたのですが、専門の場所を取ることができました。そして、その場所を中心に会議をするという事になってきたのです。
そのような意味では、地域に無くてはならない存在になってきたという事なのだと思うのです。
そのような事を中心に検討する中で、当然全責任を担う事にもなるので、いい加減な気持ではいられないという事になるのです。
最近考えることは、自分を越えて、今多くの人の為に役立つ日々を送っているかという事を自問するのです。
自己中心に全てに対処しようとすると、誰も振り返ってもくれないし、孤独極まりない事にもなります。
どうすればいいのかという事なのですが、その秘訣は、多くの人を「満足」と共に巻き込む以外にないと思うのです。
自分の手元にあるものを確認し共に協力すればいいのです。 自分の手の届かないものに対すると、あらゆることが独りよがりになってしまいます。私と共にある人が、私と歩調を合わせてくれると信じる事を恐れないようにすべきであると思うのです。
ところで、降りかかってくる内容は、他人からは、自己中心的なことばかりです。自分の目の前にある事実をどんなふうに受け止めて考えていくかという事になるのです。
私が、まだ何も手を打っていないうちに、自分が敗北しているという事にならないようにしたいのです。
基準として、人に憎悪を抱いたり、恨んだりする動機になった時は、もう既に、太陽のもとに堂々と存在できない自分になっている訳です。
もう既に、初老の域に到達している私にとっては、日の当たる場所ばかり見ているような年齢なのです。影を見るような人生は触れたくもないし、過ごしたくもないのです。
新しく、多くの人との出会いを楽しみにしながら、今日という新しい日に投入したいのです。 そうすれば、何でも取り出すことができるのではないかと思うのです。またやり直すに躊躇が無いのです。
いつも好きな時に出発できる自分でありたいと思うのでした。このような気持を連続的に持つとしたならば、「失敗」はありえず、ちょっと散歩した思い出、再び取り組むことができるのだと思うのです。
それが、これから多くの人の為になるという事なのかもしれないのです。