2017年1月14日(八段語録3019)
手塚会長の葬儀

本葬は、午前十一時に始まりました。
葬儀時間の二時間前には、到着していました。
会場に向かう途中、車の中で、自然に涙が流れるのです。
心の整理はつかないのです。
それでも、会長をお見送りしなければならないという気持ちになっていました。
通夜の時は親族だけでした。
それが、一変して、沢山の道場関係者、会長の友人など、様々の人が、告別式である、葬儀に参列していました。
会長を慕っていた人達で、会場は埋め尽くされたのです。
棺に花を手向けて、会長を送り出しました。
マイクロバスに分乗して、親族と一緒に、斎場に向かいました。
柏市の斎場という事で、小一時間車で向かいました。
その後、焼き場に会長が送られました。
一時間半待って、遺骨になっていました。遺骨を拾わせていただきました。
骨壷に納めさせていただいて、斎場を後にしました。
再び、セレモ南流山駅に到着して、本当にお別れということを実感させてはいただきました。
これから、どのように手塚会長のに意思を継いで手塚グループを発展させるか、頭の中を去来しました。
それでも、会長があの世から、助言してくれると信じて、前進するのみということだと思うしかないということでした。
会長と対話が思い返されます。
その会話は、空手の事は、ほとんど話さないのです。
もっぱら、青少年問題であるとか、家庭の問題であるとか、今の政治に対する提案、様々な社会問題に対する会話を思い出してしまうのです。
最近も、青少年の性の問題、不登校、反抗期、様々道を間違えていく子供達にどのようにしていくかという事を話し合っていました。
もちろん、極真空手を通じて、教育する事は熱を帯びます。
また、道場をあらゆる教室に解放するということも話し合っていました。
例えば、絵画や彫刻の教室にするということまで話し合っていました。
そうすることによって、人としての道を間違える事を阻止するというのです。
正しく成長する事ができるように、サポートしていこうという話にも、盛り上がっていました。いつも、行き着くところは、家庭でした。
愛情を充実させていくという、一環とした主張をされていました。
子供達の成長のために、家庭をしっかりさせるという事が、会長の口癖でした。
そうしているうちに、無事に葬儀を終えたのでした。
私にとっては、会長の、葬儀も、波乱万丈でした。
最初に、葬儀そのものが、家族葬でやるので、空手の関係者は御遠慮願いという事でした。
奥様に、泣きながら、後生ですからと何度も食い下がったのでした。
取り成して貰ったというところから、参席を許されたのです。
それも、流山に八日も宿泊しながらです。
現場の宮城県本部は、そっちのけという事です。
最後のお別れをしたいという事からの気持ちでした。
通夜にも、告別式の本葬にも参席をさせていただきました。
そうしなければ、心が納得しないのでした。
そして、本来ならば、親戚が中心で、参席をできないはずの、火葬場まで付き添わさせていただきました。
これが、最後のお別れとおもうと、胸が張り裂けそうだったからです。
御家族は、空手関係者を呼ぶのではなく、身内で送りたかったのです。
それが、痛いほど分かっていましたが、それでも、許されるのでしたら、片隅にでもという懇願する気持ちで、お願いしたのです。
奥様は、最終的に、快くうけとめてくれたのです。
それが、私達が参席をできた理由なのです。
告別式を終えて、思うことは、会長の意思を継いでいくという決意なのです。
家族として、道場生が、親子が分かち合えるという、理想を伝えていくということです。
これから推し進めていくのです。
親子が一緒になって、子供達の成長の道筋を立てていくために、道場は、手助けをするのです。
子供一人で、成長するということは、大変なことです。
家族があって、初めて、正しく育つ事が出来るというものです。
あの世の会長と共に、道場が親の心でもって、しっかり対応するという青少年教育に当たるのです。
第一に、金銭、人間関係 、男女関係の全てに対する価値観を指導して、礼に始まって礼に終わる武道精神で持っって、青少年教育に対応していきたいという事を決意させていただきました。
第二に、青少年教育として、自分自身が汚れることのない生き方をするということです。
第三に豊かな愛情を育むという事を、会長と共に指導していくつもりなのです。
それが、会長が主張する、「家族」「対話」「自然」という基本理念をしっかり世に伝えていくという事を思ったのです。