2017年1月1日(八段語録3013)
人類を巻込んでの極真精神

こんなにも、極真空手が世界に受け入れられるということはという事です。入門当時は、思ってもいなかったことです。有名になったものです。総裁が、世界、二百か国1200万人に極真空手を広げたのです。私事ですが、師範として、ヨーロッパやアメリカ、ロシアとこの十年、活動範囲が広がっているのです。今の立場に立つまでは、世界に行く時は、観光旅行ぐらいに思っていました。しかし、いつの間にか、世界が活動範囲になったのです。人生の妙味を感じてしまいます。海外で、旅行代理店の添乗員が迎えてくれるのではないのです。
礼儀正しく、現地の支部長が出迎えるのです。そして、稽古をするにしても、日本の本部道場で、培った私の稽古を見習おうとするのです。言ってみれば、世界の極真空手の「先生」になっているのです。つまり、稽古を通じて、世界の道場生に、武道精神のメッセージを伝えるのです。重責を担うという立場まで、与えられるという事になったのです。それにしても、仙台で道場を開き、その内容をインターネットで世界に伝えているのです。さらに、世界を回る事によって、尊敬を受けるのですから、幸せな人生という事です。
さて、新年を迎えて、考えさせられることがあります。誰も振り向くこともなかった、極真空手に、生涯を捧げたという事になったのです。多くの道場生が、色々な事情で、極真会館を退会して行く中、辛抱強く、継続したのです。もちろん、修行時代は、長く厳しくもありました。それも、生活の目処など、立つはずはないのです。それでも、極真精神を先立たせて、大海原に舟を漕ぎ出したのです。私の使命が、押忍の精神で、武道精神の伝播という事にしたのです。世間に恥じることのない、精神を残す事に世界巡回の時は、必死でした。
理念が正しくても、日々の行いが、世間が受け入れてくれないとするならば、卓上の空論という事でしょう。生活と理念が一致して、初めて、多くの人に共感を受けるという信念で過ごしてきました。もしその事で、成功するならば、天地が崩れようとも、極真精神は、継承されるであろうという確信でした。
ところで、今年も私が挑戦することは、どれだけ社会に貢献するということです。世間と乖離した理念は言わないし、実行可能なことを、ステップアップしながら、表現して行くということです。私は、聖人ではないのです。後世の人が気づいて、将来やってくれるだろいうではないのです。それだからと言って、目先のことだけを重視するのではないのです。自分を治め、誰もが付いてくることができる人格の土壌を作るのです。奉仕活動では、消防団も続けています。地域の役職は全てに、貢献しているのです。時間は割かれますが、それだからと言って、マイナスにはならないのです。社会に役立つ存在として、自分を創造して行くのにも大切なのです。地域との連携は、地域に信頼されるに、相応しい奉仕活動なしには、誰も認めてくれるはずはないのです。そのような事に力点を置きながら、今年も出発です。
もちろん、ブログと動画は継続します。肉体を持っているわけですので、限りを尽くすという事です。
特に、所在が仙台なので、極真精神を仙台に根付かせて、認められたぶんだけ、世界に発信することができると思っています。そのような意味では、極真精神の、地域化という事になります。極真空手にという武道だけでなく、その精神の具現化を、目指そうとするのです。
国に対する貢献もあるでしょうし、宮城県に対する貢献もあります。まして市町村という地域に、対する貢献は当然の事です。極真空手以外に、何もしていないと言われたくないのです。極真会館の指導者として、地域の為に生きるのは当然の事なのです。社会貢献ができて初めて、世界の極真を名乗ることができるというものです。今年もまた、並々ならぬ気合を入れて、極真精神を持って、全力で走り抜く、覚悟を決める元旦になりました。