2012年6月2日(八段語録1701)

幸福を掴む


 最高の幸福感だけを追い求めているのです。この決心が、今の私の生活を貫き通しているのです。
本当に幸福感だけしか追求していないのです。私の心の持ち方は、このことが大前提であるのです。
名誉や財産なんか、あったに越したことは無いのですが、肥やしにもならないのです。当然、ブログでも書き記しているように、私には、独自の人生哲学を築き上げようとしています。
それは、他人の言葉に振り回されないためであり、他人の行動によって影響を受けないためなのです。自分の信念を大切にしているという事になります。
 さて、気がめいるときだって、あるわけです。天気の良い時は、別荘に出かけて、畑を耕し、太陽と自然の中で、無限な力を得るのです。
大地にどんなに素晴らしい、美しいものがあるかという事を実感するのです。この別荘は、私にとって避難場所になっていたり、新しい活力を補給する場になったりしているのです。
このことを繰り返していくと、不幸などとは、全く関係のない自分が生まれてくる訳なのです。この一瞬によって、一日に希望を持ち、一週間を過ごせる活力が生まれ、一か月、一年の心の持ち方が決まってしまうように思うのです。
 ところで、私のあらゆることの打開方法は、美しい音楽を聴き、美しい言葉に耳を傾ける訳なのです。決して、酒やたばこ、憂さ晴らしの奇妙な行動には出ないのです。
当然、部屋の掃除から始まります。結構きれい好きなのです。家の中をきちんと整理して、美しくしようと努力するわけです。
もちろん、健康も保つようにしています。この歳ですから、あらゆる病気が襲い掛かってこようとしています。
高血圧、糖尿病、神経痛、あらゆる万税病の予備軍になっている訳です。このような病気にかかる必要はないので、出来るだけ自分の身体を素ますにしないようにするのです。
 そして、今、やらなければならない、自分の役割に挑戦するわけなのです。それが神の意志であると確信するわけです。
現世に送り出した、神の意志はいかばかりかと自問するのも、この歳だからという事になります。
そして、何ができるのかを、今までの人生の歩みの中から、最大チョイスするわけです。それが、自己との対話であり、幸福を掴む第一歩であると思うのです。