2012年5月30日(八段語録1698)

誰も歩んだことのない道


 自分の人生を振り返ってみて、いつも結果として奇抜な生き方になるようです。私には、多くの友人がいるのです。その中でも代表的な存在は、私が素直になることができた女性でした。家庭教師の九州大学の女傑でした。出会いは16歳の時ですから、新鮮でした。その女性に対して子供のような自分に気が付いていたのです。その当時、私の課題に対してありとあらゆる問題を解決してくれたのです。若かった私に、あらゆる方向から刃向ってくる困難に対して、よきアドバイスをしてくれたのでした。
 このアドバイスが、のちのち、人生の困難さに立ち向かう、一番確実な方法を指導してもらったのでした。釈迦のおしえにもあるように、唯我独尊であったり、魂の不滅を信じる事であったり、そして、一瞬でも見守っている両親の存在を大切にするような事でした。その女性は、何事も確信して貫きさえすれば、自然と偉大な神の見手によって、導かれるという内容の事でした。このような発想を心の根底に置いたものですから、今までの人生を振り返ると、大きな間違いを起こすことがなかったのだと思うに至っているのです。まして、他人から見て、奇抜にも思えたのでした。
 ところで、このような発想は、その人との出会いでした。特に、母のような女性と出会う事は人生を価値あるもののように育ててくれたのです。そして極真空手との出会いですから、自分が持てる限りのパワーを獲得し、地上最強も目指せたのでした。どんなに大会で敗北する事が待ち構えようが、怪我をしようが弱音を吐くことは無かったのです。苦痛の中から忍耐とその中で、ハスの花のような花を開かせたような気がするのです。
 私の魂を燃やし続けたのは、まさしく聖なる武道であり極真空手であったことは間違いないのです。そして、今振り返って、明けの明星とともに、人生の満足感を到来させているようなのです。これからも、もし克服ことができるものが無制限にあるとするならば、今までの経験が生かされ、豊かな生き方ができるし、報われる喜びを感じ続けることができるのではないかと思えるのです。富士山の頂上に立った時の喜びは、もしそこ平立つまでに超えるべき暗い道を一つでも、越えていかなければ、味わう事ができなかったと思うのです。そんなことを考えながら、振り返る人生に乾杯です。