2012年5月25日(八段語録1693)
精神的バックボーン
過去四十年間、極真会館で日本と世界を相手にしてきた人生を送ってきたのでした。私は、あらゆる人と組手をして、強いことや弱い事の判定を道場生に下したことになります。もちろん、極真会館の練習で強くなるという事も付け加えたのです。私が組手を行った人は、何千人にも及ぶと思うのです。人生の後半を迎えている私が、一人の例外もなく、道場生が、極真の門を叩いて強くなろうと努力したのであり、私が登竜門になったことも事実なのです。
極真の門を叩いた人たちは、大山総裁から指導を受けた、私の強さに驚いたり、驚嘆したりしたのでした。それは、別に私が誇ることでも何でもないのです。大山総裁が指導して強い空手家にしたわけだからなのです。そして、極真の門を叩いた人たちは、最終的に私を乗り越えようと必死になって、当然のごとく乗り越えていったのでした。
道場生は、私という存在を越えようとしたのであり、途中経過の目標であったことは間違いないのです。そして、その事を、見失わずに稽古に励んだ者たちだけが、強くなっていったのでした。残念ながら、見失った道場生は、脱落していったのであり、極真とは全く関係のない世界で生きるようになったのでした。
ところで、最近私が出会う人達は、本当の意味で上記の事柄から、癒されていないのです。本当の人生観を取り戻そうとすることで、私と接触を持つようになり、本当の人生観を取り戻そうとしているのです。当然、私は、極真会館に生きているのです。精神だけではなく、そのものにいるのです。私のこれからの人生は極真に生きるのです。そして私の生き方を揺るがす何物も起こらないのです。
私が最高のものとして崇める極真会館は、今なお、私の心に炎として燃えているのです。そこで学んだことは、秩序であり、運命であり、極真魂であり、自然であり、多くの恵みが私を包んでくれたのです。この極真会館が、私の人生を振り返っても、成長させてくれたことは間違いないのです。活動している太陽を、全身で捉えることができる道でした。私にとって、この得も言われぬ極真パワーの門下生になっているのです。
すると、極真会館に存在したことが、うれしさに満たされ、こみ上げてくるものがあるのです。私の人生に対しての勇気が溢れ、天が私に与えた人生としてどんな運命でも受け入れる心構えができるのです。これが、私の精神的バックボーンであり、私と出会った人達が、再び極真会館を誇れる事を願うばかりなのです。