2012年5月24日(八段語録1692)

私の生き方


 今日も「完全燃焼」しようとするのです。「完全燃焼」は、私の人生を行動に現したものに他ならないのです。つまり、「完全燃焼」こそ、本当の生き方であると結論つけている訳です。「完全燃焼」を、それと酷似した内容に例えるならば、太陽の輝きと同じであると思うのです。「完全燃焼」しないと純粋にも生きることもできないし、道徳的な価値を十分発揮する事も出来ないと思うのです。この心が強いがゆえに、美しいものにより感動できるという意識が生まれるのです。このように、自分の純粋性を保てるのは、「完全燃焼」させるという生き方に他ならないのです。
 私の全神経が、その「完全燃焼」に向かう時に、宇宙の原理や法則に合致するのであって、それ以外、不純な心で物事を見始めたならば、もう既に、私でなくなっているのです。人生に何の価値を見出すことはできないのです。この行動をしている限り、守られ、導かれるという信念だけがあるのです。
 私は「完全燃焼」を次のように考えているのです。無益に無駄口を叩くことではなく、何かもったいぶって振る舞おうとするわけでもないのです。私の行動そのものが魂の働きそのものになるのです。私の魂が、「完全燃焼」を完全にキャッチする時に、何か神秘的な境地へと導かれるような気がするのです。「完全燃焼」という事が、私の全能力を開花させ、生きがいあるものにしているのです。この「完全燃焼」が欠けない限り、私は生きているのであり、この「完全燃焼」が魂をかき立てるのです。決して形式的なことではないのです。私の姿が暴走と捉えられようが、無謀と捉えられようが、理念がないと言われようが、そのような事は、まるっきり眼中にないのです。