2012年5月23日(八段語録1691)

医療教育に対する反問


 私達が医学的な知識がないからといって、別にその事によって生命を失うという事はないのです。医療の勉強をしている私が、自分の体や人間の構造の神秘を理解していなくても、より豊かな人生を送るのに、なんらマイナスにはならないのです。究極、人体の神秘を研究しなくても幸福な人生をエンジョイする事は出来るのです。
 この専門学校に通うようになって、私はやっと、人間は人体を理解する事で、人生を生きられるのではなく、人生を幸福に生きるために作られているという結論に到達するのです。
 そして、私は再び医療教育へ立ち返るのです。いや正確に言うならば、医療の勉強と対立しても、新しい自分の考えを創造したいと思うのです。私はもはや、医療の勉強と分立してまでも、人生を幸福に生きようと思う心が強いのです。その医療機関の学習は人類の英知であり、多くの人を救う知恵が散りばめられているのです。本質的には、国家資格がどのようであり、どうすべきかという事にあまり関心を持っていないようにも思えるのです。
 それよりも、私のもっぱらの関心は、この医療の勉強は、私に何を与えてくれるかであるのです。それは、あらゆる病気が近代医学によって治療できるという関心のようなのです。つまり、これらの医療教育が私にしてくれることに関心を持っているようなものなのです。
 つまり、この医療の勉強は、私をより豊かで、充実した幸福な生活を送れるように助けてくれるものとしての捉え方なのです。そして、その知識を通じて、利他主義に生きるならば、多くの人の光となることができるという事なのです。
 だから、この医療の勉強は、もっと私に多くの物を与えてくれるという確信の上にいるのです。それは、私に精神的な価値をもたらし、人生に対する新しい熱意として、より満足する事ができる人生を求めようとしているのです。
 このような医療の勉強を通じて、信念、希望、勇気をもたらしてくれることを期待している訳です。今の状況で、緊張、不安、恐怖、心配から心を解放させうる、人生の目的へと誘ってくれるのです。あくまでも、この勉強は、幸福と健康を増進させるためなのです。