本部長通信169 2008年5月2日
現在が勝敗の分岐点(5)
私は二十数年間選手生活で戦い抜いた後で、師範という称号を受けることができました。極真空手の指導者を目指す人は、最低同じ道を行かなければならないし、師範願う極真空手の行くべき道を、成し遂げなければならないのです。
もし、極真空手の本が出回って、それで、事足りるのであれば、師範は何のために必要であるのかというのです。それゆえ、師範という実体が存在し、伝統を打ち建て続けていくことの意味があり、途中で倒れてはいけないということも真実なのです。師範が情熱を失って「勝手にやったらいいや」というような貧弱な心で対処したならどうでしょうか。
しょうがないなと最初のうち道場生は我慢しますが、そのうち離れていくようになります。師範という立場は、勝利者であるという称号と思っています。だから、大会で腰の骨が砕けようが、足を骨折しようが戦った歩みがあるのです。そこで培った精神は、最後の最後まで頑張るという根性だったのです。
これからはっきりします。指導者になるためには、組手で強いという証明がなければならないのです。その証明書がなければ、指導者になれないのです。組手をするとき、相手はそのままでいるのではないのです。最後まで抵抗し続けるのです。このような真剣勝負であるがゆえに、道場生は関心を持ち続けるのです。指導者の道は、ありとあらゆる困難にぶつかります。
師範は、妻が子供を産む光景を瞼に焼き付けています。妻が歯を食いしばり、死を覚悟して丸二日全力を傾けてわが子を産んだのです。すべてをかけて生んだのです。そのような指導者にお互いなるべきだと思います。
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