2012年5月19日(八段語録1687)
閉鎖的マンション組合
多くの人と話している内に、あるマンションに中古マンションを購入した人と話す機会を持ったのです。その人は、理事長という人にこのマンションの購入動機やどのように活用するかを話したのでした。そうすると、そのマンション組合の規定があるらしく、最初からこれから活用しようとするマンション運営に否定的見解を持って対応してきたというのです。
その人は、マンションで事務所として活用することや、社会活動にも参加している人との会合も持ちたいと考えていたのです。ところが、外部の人の出入りの問題や、外部の人が出入りする事を極力嫌った対応の仕方であったのでした。マンション組合の保守的姿勢にあきれるばかりであったのです。
マンション組合の定款の中の第一条には、住民の共通の利益を守ることが明記されていたのですが、理事長と副理事長という人が、直接部屋を訪れて、あたかも組織のトップであるような態度で閉鎖的な語録を並べ立てていったのでした。例えば、ベランダに洗濯物を出すことは禁じられている事や、事務所としての活用は遠慮してもらうということや、様々な規則を並べ立てるというのです。
ところで、そのマンション組合は、町内会との連携を取っているかというならば、町内の活動には一切出てこないとうのです。そして、そのマンションだけの意識で町内に存在しているのです。その人は、怒りを抑えているようでしたが、少し様子を見ながら、少しずつ対話を重ねていきたいという話をしていました。その人の忍耐強さには感心させられたのですが、私としては腑に落ちない事が余りにも多くあるのです。
第一に、信頼して、相談するようにあらゆる事を素直に話したにもかかわらず、それが全て否定されてしまった形なのです。これは、最初から何も話さなければ良かったという事になるのです。信頼して話したことが仇になるようでは、とてもこれからの生活が思いやられるばかりです。何事も、人には警戒して話さなければならないという事になりかねません。それでは、人間としての幸福感は失われてしまうばかりです。
確かに、マンションという専有部分と共有部分を持った建物では、あらゆることを、遠慮しながら生活しなければならない事もあるのでしょうが、他のマンションの住民に迷惑をかけなければ、あらゆる可能な活用の仕方をしても良いのではないかと思うのです。何故ならば、社会生活で、あらゆる創造性を持って対応した人生を生きる権利があるからと思うのです。もちろん、法律に違反する事や、反社会的なことは断固として受け入れてはいけないと思うのです。そのような感想を持った一日でした。