2012年5月14日(八段語録1682)

自分の修業は続く


 解剖学や生理学といった研究分野に目を向けて、一か月以上の歳月がたったのです。毎日が、新しい用語や肉体についての概念を示されるのです。今まで知らなかった事の連続です。その為に、疲労がピークになります。毎日月曜日から土曜日まで、4時間の授業が修業となって重くのしかかってきます。自己満足という範囲ではなく、的確に人体の「解体新書」を学ぶという事なのです。肉体の構造や機能が、毎日のように授業で叩き込まれます。それで、新鮮な感動もさることながら、疲労感として重く押しかかってくるのも確かなのです。
 私は、努力して得た結果の分だけ、理解に及ぶという確信は持っています。人体について学ぶことに関して、ただしそのためには、目標を持ってしっかりとして歩みが必要であると考えるのです。すなわち、簡素で地味な歩みを好み、ある程度の勇気、そして大いなる自己否定、学業に対しての愛情、そして何よりも清らかな良心を持って歩み続けるという事だと思うのです。この修業は漠然とした内容ではないのです。今まで人類が築いてきた英知を学び取ろうとする意欲なのです。
 今は経験と思考を正しく用いる事よりも、新しい事を学ぼうとする意欲に満ちているのです。頭の引き出しが足りないくらい、多くの知識をインプットしようとしているのです。今までの、経営的マネジメントとはまるっきり違って、決断と忍耐よりも、私自身に振り掛ってくる、人類の英知の知識の雨にひたすらずぶぬれになるようにしているのです。だから、修行は続くのであり、人生を新しい知識という分野に身をさらしている訳なのです。人生はまさにブーメランのような気がします。再び学んだことは、手元に戻ってくると確信するのです。
 この修業の重荷に耐え、逃げることがないようにして、この医療という分野を探り求めようとすることも、充実していると思うべきなのです。だから、今手掛けていることに、確かな誇りを持ちながら、努力を重ねて、明日に伸ばさないようにしようと思うのです。