2012年5月13日(八段語録1681)

快晴の日曜


 五月晴れとは、今日のような日でしょう。専門学校に入学してから、一か月が流れました。生活のリズムにも慣れ、どのように戦って消化すべきか、理解し始めてきているところなのです。今、専門学校を知ってしまったような思いにもなれます。一か月をある意味で、一歩ずつ登ってきました。結構、高い山であることも理解するようになっているのです。
 人体を学んでいるのですが、解剖学と生理学が難しいのです。自分研究にとっては願ってもないことなのです。不可抗力に逆らうに足りるだけの十分過ぎるほどの、精巧なメカニズムが駆使された物体な訳なのです。新しい生活を創造するだけの、余裕のある存在が人間であると思うのです。根拠はというならば、人体の素晴らしさに他ならないわけなのです。
 解剖学や生理学を学ぶ中で、これほど精巧なメカを最大に生かすならば、幸福でいることは当然なのです。この身体というメカが、幸福であり続けようとする意志を持つ人をバックアップするのです。「今」という自分も、家族も、仕事もあるがままに受け入れて、併せていく事ができるだけの精巧なメカな訳なのです。
 このメカを駆使して、4月に植えたジャガイモの畝寄せをしているのです。一か月で、芽を出し、勢いよく土から飛び出しています。その芽に、土を寄せて、ジャガイモの空間を広くしようとしている訳です。鍬を持って耕すことで、身体を大切にしようと思えるのです。身体は脳が指示するままに動く完全な機械なのです。それゆえ、農作業が楽しく行う事も出来るし、自分の精神だって鍛えることもできるのです。今こうして有意義な時を過ごせるのも努力と思考と集中ができるのも、肉体の完全性にあるのです。