2012年5月12日(八段語録1680)

私の信じる事


 ありてい言えば、「今」という時に生きようとする人が意外と少ないのです。色々な人とで出会うと感じるのですが、現在以外に生きるつもりのようなのです。未来の夢に生きて、現実が小さい人もいれば、過去だけが誇大に大きく占めている人もいるのです。
 私の感覚はというならば、一日一日の生活が私の宮殿であると思っているのです。そして、そこに生きがいを抱くのです。まさに、私の信じる事ができる、瞬間であると思う訳です。ある意味で大いなる時の流れは、同じ速さで流れているのです。決して時の流れは、振り返ろうとしないし、後戻りもしないのです。もちろん、もう少し流れを早めたいと思う時もあるのです。
 しかし、いかに望もうとしても、努力しても、無駄なことであることは、察しがつくところです。私が、一生懸命であろうが、怠けていようが、感動で打ち震えようが、苦痛のどん底にいようが、大いなる時の流れは続けられているのです。この豊富な資源である時の流れを活用できるのは、まさしく「今」でしかないのです。時は、一度前を流れ去れば、再び帰ってくるという事はありえないのです。もちろん、次の時が流れます。しかし、活用しなかった「今」という時の流れは、完全に失われることになり、再び帰っては来ないのです。
 もし、「今」がこの世で最も貴重なものだとするならば、「今」の浪費は、人生の大いなる損失であると思うのです。失われた「今」はもう二度と帰らないのです。それだからこそ、「今」やるべき事はさっさとやってのけようと思うのです。そのような意味では、神仏を尊ぶことは当然にして、今を信じる事はもっと有意義であると確信するわけなのです。
 「今」信仰こそ、私の協調するところであり、何にも通用するジョーカーなのです。そのような事を意識しながら、新たな航海に出た私を叱咤激励しているのです。一千日の旅を企画しているのです。頭脳は退化していくばかりですが、チャレンジは大切なことなのです。